監督 マーティン・キャンベル 出演 ダニエル・クレイグ
前半、つまり、ジェームズ・ボンドがテロ組織を利用して金を稼いでいる男をポーカー勝負で勝つまでが非常におもしろい。
ダニエル・クレイグが人間業とは思えないくらいに走りまくるのだが、その走りがマラソンではなく 100メートル競走の走りである。そんな走り方で人間が走れるのはオリンピックを見ていてもせいぜい 400メートルが限度であるが、ジェームズ・ボンドはそういうことを気にしないのである。トラックのように整備された場所ではなくても、路地でも障害物があっても、何がなんでも 100メートルダッシュで駆け抜ける。そうやって肉体を見せる。
ここに映画の基本がある。
もちろん映画だからいくらジェームズ・ボンドが 100メートルダッシュを繰り返しても、それがそのまま現実ではないことは観客は知っているが、それでも人間の肉体がそんなふうに動く--その動きそのものを見せるというのは、やはり映画の醍醐味である。
走りのほかに、素手での格闘もある。銃を使うよりも素手で戦う。ひたすら肉体を酷使する。走って走って走りまくる。殴って殴って殴りまくる。こんなことができるのはどんな肉体だろうか--と思わせておいて、ちゃんとオールヌードの体も見せる。そうか、やはりスパイの肉体というのは普通の市民(観客)とは違った肉体をしているのだ、と実感させる。(ふきかえかもしれないが。)
肉体の特権で君臨するのが映画スターである。それを引き出すのが映画監督である。そういう単純な構図がここにある。明快で、とても気持ちがいい。
ハイテクは情報収集・分析のパソコンが登場するくらいで、奇妙な新兵器は登場しない。基本の兵器(武器)はあくまで肉体である。肉体とともにある頭脳である。そういう基本へ立ち戻ったのが、この映画のおもしろいところである。
後半は走り疲れたのか、ちょっともたもたする。肉体から、感情の戦い(?)へと主戦場が移動する。これも、これはこれでおもしろい。人間は走り続ける肉体だけでできているわけではない。感情があり、それが肉体を鋭敏にもすれば鈍らせもする。このとき、肉体と頭脳は同じものである。感情が目を覚ましているあいだ、頭脳と肉体は遊び呆けるのであろう。そうしたことも描いていて、これは、まるで「007 」の人間復活宣言のような映画である。
続編がどれくらいつくられるのか知らないが、これまでの「007 」を全部肉体で洗い直してもらいたい、という期待が生まれるおもしろい映画である。