1月28日「LA MAMA」で見た「メジャー・バーバラ」の感想を書いた。「メジャー・バーバラ」に対するニューヨークタイムズのレビューは「歌舞伎の影響」というようなことを書いていた。どこが歌舞伎だ、といいたくなるものだったが、何が違うといって、やはり声の鍛え方、肉体の鍛え方が違う。
芝居はやはり声、肉体が決め手だ。
「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の政岡の一人芝居の部分、わが子を失った嘆き、悲しみ。その声がすばらしい。見ていて(聞いていて)、自分の声帯が反応するのがわかる。声にならない声、体の奥から込み上げる激情によって抑制を失った声が、喉に共鳴し、それが体全体へ広がっていく感じがする。
私たちは人間が苦しんでいる姿(様子)を見れば、それが自分の苦しみでもないのに、苦しみを感じてしまうが、そうしたことは声からも起きることである。声にも肉体があるのだ。
歌舞伎の動作(肉体的表現)はたいてい現実の肉体の動きよりもはるかにゆっくりしている。そのために、激情をスローモーションでみているような感じになる。これもまた不思議なものだ。素早く動くことも訓練が必要だろうが、ゆっくり動くにはもっと訓練が必要だろう。スローな動きは視覚から入ってきて、私の手足を無意識に動かす。