詩はどこにあるか(98) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 存在と非在のあわい、そこに立ち上がるもの。そうしたものへの視線は、木坂涼の詩にも描かれている。「一個のたまごのように」。そこにも吉田、中村につうじるものがある。

通りで
幼児のてぶくろを拾った
落とさないよう無くさないよう
右と左が肩にわたす毛糸で結ばれていた

とたんに
今はもうない
私のむかしのてぶくろについて
静かな口調で遠い記憶が語りかけてきて

 今、ここにないものが「語りかけてくる」とは、今ここにないものが「立ち上がってくる」ことと同義である。そしてその瞬間、それは「過去」ではなく「現在」にかわる。その瞬間、過去と現在が一体となる。吉田の「花」、中村の「ツワブキ」、木坂の「てぶくろ」は、その意味で同じ運動、同じ精神の奇跡の象徴である。
 木坂の特長は、そうした哲学にとどまらず、そこから日常へ引き返してくる動きにある。

とたんに
今はもうない
私のむかしのてぶくろについて
静かな口調で遠い記憶が語りかけてきて

それと歩調をとりながら家の階段を上がり
ドアをあけた
昨日も今日も嵌(は)めているてぶくろからは
誘導できないこの
物的なまでの非物的なからくり

無くしものが解いて放つ記憶の流儀
日記へ

一個のたまごのように置こう

 「たまご」。不安定なまるみ。重心が定まらず、少しのはずみで転がりそうなもの。落ちれば割れてしまう、か弱いもの。木坂の感性は、そうしたやわらかなものに寄り添っているようだ。