詩はどこにあるか(61) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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荒川洋治「心理」(みすず書房)

 「風俗小説論」。書き出し。(82ページ)

   四日市市北浜田を書くこと。地域であること。

 これは何か。荒川がこの作品を書くに当たって荒川自身に課した課題である。この「課題」に「詩」がある。
 荒川が描くのはいつも「地域」である。ある土地、その広がり。広がりのなかには広がりを埋めるだけの濃密な時間がある。そして、その時間はいつも「ぬけおちている」ことが多い。


  中村くん
  なんですか丹羽さん
  「わたしはその赤ちゃんでもいいのだけれど
  いくつか書きましたが成功せず、の、書きましたと
  成功せずは、つづけるのではなく
  少し まをおいてくれないとこまるな」
  「……。………」
  「母親というものはね、
  いつもそういうものだよ
  そうしまをおいて 竹なんだ」

 「ま」は「間」だろう。
 この「ま」は「ぬけおちている」時間である。地域をきちんと描けば、そうした「ま」が浮かび上がる。母の時間、母と息子の時間、ある地域での濃密な時間――誰もが素通りしていく時間が浮かび上がる。

 荒川は「間」に敏感な詩人である。「間」を意識しながらことばを動かしていく。
 荒川の作品の「間」を丁寧に分析していけば、具体的な荒川洋治論が自然にできあがるかもしれない。――この問題は、提示するだけで、しばらくは触れない。(いずれ触れるときがくるかもしれない。)