詩はどこにあるか(46) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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寒山(「中国詩人選集5」岩波書店)

 「何以長惆悵」を読む。7行目。

奈何当奈何

 「どうしよう、ああ、どうしよう」――これは、詩のことばとしてはあいまいで弱い。ただし、それが突然の文体の変化として噴出してくるとき、突然、なまなましくこころに響いて来る。

 漢詩が口語で構成されているのか文語で構成されているのか、私は知らない。しかし、印象としては「文語」で構成されている気がする。張り詰めた対句などに出会うとそう思ってしまう。
 この「奈何当奈何」はおなじことばの繰り返しによって、口語のニュアンスがとても強くなっている。突然、口語が文語の中に侵入してきたような感じがする。

 突然の文体の変化。そこに「詩」を感じる。

 日本語の文体では、実感を強調するとき過去形ではなく現在形を使う。たとえば、山登りをしていて、「険しい山道を登った。頂上についた。風だ。下から風が吹いてくる。汗を奪っていく。」というような感じ……。

 文体がかわった瞬間、意識が新しくなる。その「新しさ」が「詩」である。