詩はどこにあるか(26) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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ナボコフ「響き」(「ナボコフ短篇全集Ⅰ」作品社)


ぼくは白樺の木の輝かしい樹皮に目をやり、突然、感じた――自分が持っているのは手ではなく、小さな濡れた葉に覆われた傾げられた枝なのだ、そして脚ではなく、よじれながら地中へ入っていき、その養分を吸い取る千本もの根なのだ、と。

 こうした文体を読むと、ナボコフが短編小説ではなく、短編を書くときでさえ長編小説の文体で書いていることがわかる。
 ことばのひとつづきの運動のなかで、そこに描かれている人間そのものが変化していく――それが長編のダイナミックなところだろう。

 「詩」は、こうした変化のなか、運動のなかにもある。
 存在の唐突な出会いと出会いのなかにだけあるのではない。