四四
小平村を横切る街道
白く真すぐにたんたんと走つてゐる
天気のよい日にただひとり
洋服に下駄をはいて黒いかうもりを
もつた印度の人が歩いてゐる
路ばたの一軒家で時々
バツトを買つてゐる
「小平村」から「印度の人が歩いてゐる」までを読むと、非常に新奇な光景のように見える。この新奇さのなかに「詩」はあるのか。あるように感じられる。田舎の道。インド人。洋服に下駄。黒いこうもりがさ。そうしたものの出会い、衝突に「詩」があるように見える。
だが、本当は、そうではない。西脇の狙った「詩」は、そうしたものではない。
路ばたの一軒家で時々
バツトを買つてゐる
「バツト」はたばこの「バット」である。「時々」という前の行のことばが指し示しているように、それは非日常ではなく、いつも繰り返されている日常である。
田舎の道を風変わりな格好でインド人が歩いている。それは珍しい光景ではなく、日常である。珍しい光景が珍しい光景であるかぎり「詩」ではない。珍しいものが日常であるというところに「詩」がある。
「バツトを買つてゐる」という短い描写で、そうした日常を把握する、表現する――この瞬間に「詩」がある。