詩はどこにあるか(17) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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西脇順三郎「旅人かへらず」(筑摩書房『定本西脇順三郎Ⅰ』)

三八
窓に欅の枯葉が溜まる頃
旅に出て
路ばたにいらくさが咲く頃
帰つて来た
かみそりが錆びてゐた

 「かみそりが錆びてゐた」に「詩」がある。欅、いらくさという自然の情景(季節)に人間の生活をぶつける。人間の日常をぶつける。しかも、鉱物であるかみそりにも、草木のように時間の変化を感じさせるものがあるという現実をぶつける。

 このとき「詩」が生まれる。「詩」はいつでも思いがけないものの出会いだ。そして、いつでも納得できる出会いだ。
 私たちはいつでも自己中心的な時間を生きる。たとえば欅を見る、いらくさを見る。そのときは草木の変化の中に季節を見るという時間を生きている。そういう視点で世界をみている。
 ところが世界をつくっているのは、草木だけの時間ではない。鉱物にも時間があるのだ。
 
 この発見の中に「詩」がある。新しい精神の運動のなかに「詩」がある。