坂多瑩子『物語はおしゃべりより早く、汽車に乗って』(2) | 詩はどこにあるか

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 坂多瑩子『物語はおしゃべりより早く、汽車に乗って』の巻頭の詩「咲いては枯れる風の通り道にさらす」のなかほど。

水子を
箱に
うずくまるように人形もいれて
送った宛先
偽の診察券

 私は「水子」をもった経験はない。そもそも妊娠できないから、そういう経験がないのだが、それでもここには私を「肉体的」にひきつけることばがある。
 うずくまる。
 うずくまるのは「人形」である。人形は、生まれてこなかった子どもの象徴か。しかし、私には、なぜか堕胎した後(あるいは堕胎することを想像して)「うずくまる」女の姿そのものに見えてしまう。「うずくまる」という動詞が、私にはわかる。腹が痛いとき「うずくまる」。悲しくて何もできないときに「うずくまる」。「うずくまる」だれかを見たら、どこかが痛いのだ、苦しいのだとわかる。「肉体」だけではなく、そのときの「こころ」のもがきのようなものが、わかる。
 何が起きているか、そしてこれから何が起きるか「わかる」瞬間というものがある。その「瞬間」をことばにするのが詩、その「瞬間」をことばにしたのが詩だと、私は思っている。
 「水子」の例について語るのは、私にはむりがあるが、こう言い直せばいいだろう。
 こどもがつまずく。転びそうになる。そのとき、はっとする。この瞬間が、詩を感じるときに似ている。その子が倒れる。血を流す。想像した通りのことが起きるのに、やっぱり、はっとする。どきっとする。自分が「痛い」わけでもないのに。何か、自分の「枠」が消えてしまって、そこに存在する人間(ことば)そのものになって動いてしまう。その瞬間が、私は詩の体験に似ていると思う。
 「うずくまる」ということばに、私は、それを感じた。

 このあと、詩は、こう展開する。

あれから
三回生んで
五回流した
ずぶ濡れのまま
菜っ葉をゆでる
水にさらして ひと手間が
きれいな色を保つ
わたしもさらして
焼く
骨だけになって

 「五回産んだ」ではなく「五回生んだ」。女にとって、子どもを産むことは、もう一度、「生まれる」ことなのだろう。「生んだ」につまずきながら、私は、そういうことを考える。つまずく瞬間にも、詩がある。自分なら、そうしない。それが逆に、他人を無意識に自分に重ねることになるのだろう。つまずく、子ども。倒れる、子ども。見ていて「自分なら」と思う。自分のなかで、何かが動く。
 「ずぶ濡れのまま」は、堕胎した日、雨が降っていたのか。悲しみの雨が、こころだけではなく、肉体も濡らしていたのか。あるいは、肉体の傷の痛みが雨のように肉体だけではなく、こころにまでしみこんでいたのか。わからないが、「ずぶ濡れ」が、私の記憶を揺さぶる。もちろん、私の体験したずぶ濡れは、詩のなかの女が体験した「ずぶ濡れ」とは違う。
 菜っ葉、ほうれん草をゆでたあと、ぱっと水にさらす。たしかにその方が美しい緑色を保つ。(そう感じるだけかもしれないが。)これは、私のようなずぼらな人間でも、してみたことがある。で、そのときの「ひと手間」。この「ひと手間」をことばにするか、どうか。ことばにした瞬間、その「ひと手間」が詩になる。「きれい」ということばの「呼び水」になる。つまずく、子ども。次に何が起きるか、わかる。子どもが倒れる。それと同じように、ゆでたほうれん草を水にさらす。ひと手間。次に何が起きるかわかる。緑に茶色が入り込まない。きれいな色を保つ。わかっていることが、「ひと手間」によって、より確固としたものになる。
 その「ひと手間」を動詞で言い直したのが「さらす」。
 これが「わたしもさらして/焼く/骨だけ」る、とつづいていく。
 でも、どうやって「さらす」? 何で「さらす」? 「焼く」のは「さらす」ではない。ちゃんと別の動詞がつかわれている。「死ぬ」でもない。「死ぬ」は「さらす」ではなく、「隠す」かもしれない。
 「さらす」。「わたし」を「さらす」。
 ことばによって。
 坂多に堕胎の経験があるかどうか私は知らない。詩のなかの「わたし」は五回堕胎している。そういうことは、ことばにしなければ、だれも知らない。ことばにすることで「わたし」の「体験」を「さらす」のだ。そうすることで、「わたし」を清めていく。
 語りたくない体験を「さらす」とき、そのあと、何が起きる? 子どもがつまずいたとき、次に何が起きるか想像できるように、想像することができる。
 「ちゃんと気をつけていなかったからだよ」という批判がある。「痛くなかった?(たいへんだったね)」という労りがある。人間のしたことだから、それは、見方によって「感想」が違う。
 違いを体験することが、もしかすると「さらす」のもうひとつの意味かもしれない。ゆでられたほうれん草は、熱い湯と冷たい水という反対のものを体験する。「さらす」ことは、なにもかもを体験することである。つまり、あらゆる方向から自分を見られてしまうことでもある。

 詩のなかで、私は何度も立ち止まる。はっと思う。思った通りのことが起きる。「水子」の体験が語られる。そのあと、きっと出産が語られる。再び水子が語られる。そして、それが女の人生になる。
 問題は、その「語り方」。
 どんなことばで語るか。「ことばの選択」に、ゆるぎがない。そこに、私は感動する。つまり、私は女ではないから妊娠したことも子どもを産んだこともない。だが、女の肉体と、その肉体と一緒にある感情をあらわすことば、動詞の教えてくれる動きが、私の肉体を刺戟し、そこから私の感情が動く。その感情は、もちろん、坂多の感情とは違う。つまずき、転んだ子どもの痛みが私のものではないのと同じように。そういうものは、絶対に「同じ」にはならない。「他人」なのだから。しかし、「他人」なのに、「共有」してしまう何かがある。その「共有/共感」を自然な形で産み出す力が坂多のことばにある。
 この詩の場合、「うずくまる」「さらす」という動詞、そういう時間を「ひと手間」として受けとめることばが、それである。そこに詩がある。

 私は詩を読むとき(文学を読むとき)、それをある基準を借用し、その規制の基準に合致しているか(到達しているか)どうかを判断しない。つまり、他人の「基準(他人の思想)」を借りない。そこに書かれていることばから、「何か」が生まれようとしているかどうかだけを読む。
 ひとによって産み出すものが違う。だから、規制の基準(規制の批評用語)を個々の作品にあてはめる方法論には賛成できない。
 詩が、書かれるたびに生まれ変わるものなら、批評(感想)もまた、毎回生まれ変わらなければならない。首尾一貫しない、常に前に書いたことを叩き壊す、というのが私のやりたいことである。
 何のことかわからないかもしれないが、ちょっと気になったので書いておく。

 

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