Estoy Loco por España(番外篇280)Obra, Picasso y.... | 詩はどこにあるか

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Obra, Picasso y.....
 


 ピカソとその時代(ベルリン国立ベルクグリューン美術館展)を見た。私がいちばん気に入ったのが、「鶴」。ブロンズなのだが、もとはスコップやフォーク、ガス栓(?)などである。自転車のサドルとハンドルを組み合わせた牛の頭と同じように、そのあたりにあったものをパッと組み立てている。もちろんパッとというのは「比喩」。ほんとうは素早くではないかもしれない。しかし、ピカソのすべての作品がそうであるように、思いついたらその場ですぐに、という印象がある。スコップを見た瞬間に鶴の羽を思い出したのだろう。それをそのまま形にしていく。ここにはなんといっても造る喜びがあふれている。 「踊るシノレス」と比較すると、そのスピード感が違う。「男と女」(手前は、ジャコメッティー)は、やはりスピード感があるが、「鶴」の方がはるかに速い。それは「思いついた」という印象を与えるからだろう。

 この美術展では、マティス、セザンヌも展示されている。私はピカソ、マティス、セザンヌという私にとっての三大画家を見ることができるのというので見に行ったのだが、あっと驚いたのがクレーである。30点以上展示されている。私は特にクレーに関心があるわけではないのだが、見ていて、笑い出したくなった。どういうことかというと……。ベルリン国立ベルクグリューン美術館というのは、ベルクグリューン家のコレクションが中心らしいのだが、そのベルクグリューンというひとは、どうもクレーが大好きだったらしい。その「大好き」という気持ちが作品を見ると伝わってくるのである。私は目当ての作家でもないし、軽い感じで見ていたのだが、コレクションの「密度」が高い。セザンヌ、マティス、ピカソはばらつきがある。作品によって引きつけられ方が違う。ところがクレーの「吸引力」の方は一定している。安定している。どの作品を見ても気持ちが落ち着く。じっくりと見たい気持ちになる。これは、ベルクグリューンの「ほら、これ見て。いいだろう?」と自慢している声が聞こえるからである。


 自分にとってあまり関心がないことであっても、あるひとが、そのことを熱心に語っているのを聞くと、その熱心さに引き込まれる。何を話していたか忘れてしまうが、熱心に話していたことだけは忘れることができない。そういう感じで、クレーを見てしまう。クレーか、何があるは忘れたが、クレーを見るならベルクグリューン美術館がいいよ、と言ってしまいそうである。これではベルクグリューン美術館がいいといっているか、クレーがいいといっているか、わからなくなるが、芸術とはそういうものだろうと思う。作品に直接引きつけられるときもあれば、その作品を紹介するひとの熱意に引きつけられて、作品に近づくこともある。