「現代詩手帖」12月号(20) | 詩はどこにあるか

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「現代詩手帖」12月号(20)(思潮社、2022年12月1日発行)

 北原千代「オルガンの日」。古くなったが、壊れてしまったとは言えないオルガン。

指をあずけるとすぐにうたう
通いなれたこみちだから
うたはじぶんでうたってしまう
よしろう、かつき、なみ、うらら
あなたたちは知らないでしょう
あのころわたしは作曲家だった
たった一度きりのうたを千より多く知っていた

 「一度」と「千」の比較。それが美しい。「百」だと足りない。つまらない、「一万」だと多すぎる。「一」はだれでも体験できる。「千」はかなりむずかしい。「千」を発見するまでに「よしろう、かつき、なみ、うらら」の四人が必要だったのだろう。四人によって「千」は「必然」になった。
 それは「うたはじぶんでうたってしまう」と重なる。「自然」が「必然」。この「自然」から「必然」への移行がとてもいい。
 「現代詩」の「わざと」とは無縁である。つまり、「現代詩」ではなく、詩。

 中尾太一「長い散歩 Ⅲ」。

「今日」を越えることなく
わたしがなくしたものの
死んだ人のような体と表情を見て
いっせいに立ち止まってしまうここで
「明日」への態度を愛として苦しんでいたいと思った。

 ここに書かれる「今日」は「今日という一日」ではなく、「今日を成立させる千日」のようなものかもしれない。「過去」のすべてである。一方「明日」は「明日一日」である。「明日」の向こう側に「千日(永遠)」はない。
 もし「永遠」があるとすれば、それは「明日」あるいは「明日の向こう」ではなく「愛」のなかにある。しかも、それは「苦しむ」ための「愛」である。その矛盾を成立させるために「立ち止まる」。「いっせいに」と中尾は書くが、この「一(斉)」のなかには「一」と「千」の固い結合がある。(それは、あとで引用する部分に、別の形で書かれる。)
 それにしても。
 「愛を苦しむ」か。ただ苦しむだけではなく「愛を苦しんでいたい」。それは欲望して、そうなるのだ。「思う」という動詞がそれに念を押す。
 北原のことばに比べると、それが「わざと」であることがわかる。「現代詩」だ。しかし、これは鍵括弧でくくる「現代詩」かもしれないなあ。「現代」に意味があるのではなく、「定型化した現代詩」という意味である。
 「定型」だから、とても安心して読むことができる。

「キミガ世界ノ構造」を書くのなら
「ワタシハ個の構造」を書いて
いつしかそれを一つに合わせてみよう

 どうせなら、

「キミガ世界ノ構造」を書くのなら
「ワタシハ個の構造」を書いて
いつしたそれを千に砕いてみせよう

 と書いてほしかった、と私は思う。
 ここでこんな思いを書いていいかどうかわからないが、たぶん北原の詩の中に「よしろう、かつき、なみ、うらら」という四人の「あなた」が出てきたから思うのだが、私は母親がせっかく肉体を分離して、子であることをこえて個として産んでくれたのだから、徹底して個になりたいと思う。すべての「一」を叩き壊して「千」のなかに消えていきたいと思う。まあ、これは私の思いであって、中尾とは関係がないのだけれど。

 伯井誠司「DE IMITATIONE CARTI」。

いかに汚き、われらみな…… 人のため、また世のために
働くこそは何よりもつまらぬ役務なるべけれ。
いかなる恥を忍ぶれどもはや褒美もかひも無し、
演ずる人も見る人もすでに飽きたる芝居ゆゑ。

 このことばは、すべて「わざと」書かれたものである。「ソネット/定型詩」のために。ただ、ソネットといっても十四行詩になっているだけだ。ソネットという定型(構造)のために、伯井がどれだけ彼自身のことばを破壊したのかわからない。たぶん破壊したという気持ちはないかもしれない。だとしたら、それはやっぱり破壊ではない。
 中尾の書いた三行が、まざまざとよみがえる。

「キミガ世界ノ構造」を書くのなら
「ワタシハ個の構造」を書いて
いつしたそれを一つに合わせてみよう

 伯井と中尾は、それぞれ「違うことをしている」と主張するだろうけれど、私には「同じこと」をしているように見えてしまう。「完成された定型」(定型という完成)を生きている。

 

 


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