三木清「人生論ノート」(孤独について) | 詩はどこにあるか

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後半に出てくる「表現」の「意味合い」の把握が難しい。
言語表現は、ことばとことばの組み合わせ、組み合わせとは「関係」をつくること、関係を「形成する」ことと考えれば、そこに三木清の「形成」ということばや「構想力」が潜んでいることがわかるのだが、今回の文章には、それに類似するものがない。
三木清の連載が、いったん中断したことと関係するかもしれない。過去に書いたことが、三木清のなかで整理されてしまっていて、「形成」「構想力」というようなことばを無意識的に省略してしまったのだろう。(こういうことを、私は、意識の「肉体化」と呼んでいる。無意識になってしまう。自転車をこぐとき、無意識に足を動かすようなもの。)