中村美津江「さらさらと」ほか | 詩はどこにあるか

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中村美津江「さらさらと」ほか(「Picnic」5、2022年03月01日発行)

 「Picnic」は横書きの俳句誌。私は保守的にできているのか、この横書きの俳句がどうにも「肉体」に入ってこない。頭のなかまでは入ってくるが、そこで動かなくなる。世界は垂直にも水平にも広がっているが、横書きだと「垂直感」が見当たらなくて、途方に暮れるのである。たぶん私は、俳句を「立って」詠むものと感じているのだろう。この「立って」を「歩いて」と言いなおせば芭蕉になる。水平だと、寝たまま(寝たきり)の感じがして、窮屈なのだ。子規になってしまう。こういうことは文学と関係ないかもしれないが、関係があるかもしれない。でも、結論は出さない。そう思ったので書いておくだけである。
 さて。
 中村美津江「さらさらと」。

大頭たとえば雪の太郎次郎

 「雪」「太郎次郎」とつづけば、どうしても三好達治である。私は雪が大好きだから、もう「雪の太郎次郎」だけで満足してしまう。と、書いてしまうと、私が感じたことと、かなり違ってしまう。
 私は、雪が大好きだから、この句を好きになりたい。でも、つまずく。なぜか。
 私はこの句では「たとえば」ということばが印象に残った。一種の「転調」がはじまった、と感じた。「大頭」は「おおあたま」と読むのだと思う。そこにある「た」という音、それが「た」とえばにひきつがれ、「た」ろう、につながる。その変化への「転調」のはじまりとしての「た」とえば。
 そして、私は、この「転調」後の「響き」がとても好きなのである。
 しかし、つまずく。
 理由は簡単。「おおあたま」にある。「た」の音が隠れてしまっている。たぶん「おお」という間延びした響き、それが「あ」と引き継がれ、この三音に子音がないために「た」がつかみきれない。濁音がないのに、「おおあたま」はうるさく聞こえる。「大声」に聞こえてしまう。私の耳には。「坊主頭」(バリカンで刈り上げた頭)につながるような荒い音、乱暴な響きが「大頭」になったら、その対比として、雪の静かさも浮かびあがるだろうなあと思う。しかしそうなると三好達治の「雪」そのものになるから、それを避けたのか。
 よくわからない。

句読点静かにたたむ水仙花

 この句にもつまずいた。好きになりたい。好きといいたい。でも、いえない。
 「句読点」が「大頭」のように、イメージそのものは分かるのに(私がかってに誤読できるのに、という意味である)、音がうるさい。「句点」か「読点」か、どちらかひとつなら印象はもっと強烈になる。「静か」も「たたむ」も実感できる。「句読点」だと、なにか複雑な「折り紙」のような感じがして、水仙のすっきりした印象から離れてしまう。「水仙花」は「すいせんか」と読むのだと思うが、「ん」の音のために「5音」に感じられない。何かひとつ響きが足りない。これは「おおあたま」にも通じる。

すこし眠る未知の世界はカマンベール

 この「カマンベール」は「ん」の音の短さを「べー」という伸ばした音で補っている。だから安定感がある。
 音の感覚というのは、生まれ育った環境(最初に聞いたことばの音)と関係しているだろうから、中村の音を美しいと感じる人もいると思うが、私には、なじめない。「音」があえば、「大好き」といえるようになると思う。

 音がとても気持ちよく響いてくるのは、妹尾凛「Cider」。

麺茹でて途方に暮れる1メートル
なんとなく部分月食ピスタチオ
待つことにパセリの匂い置き忘れ
運慶快慶つゆあけの金平糖
もっとくださいヒエログリフの月
いま生まれ変わるなら三ツ矢サイダー

 濁音、半濁音がことばにリズムを与えている。エッジというか、音が立っている感じがする。中村の「大頭」「句読点」とはずいぶん違うと思う。

 叶裕「玄冬」。

冴ゆる夜のインクに浸すねえさん指

 という、少し目新しい感じの句もあるが「冴ゆる」という音が象徴するように、叶の世界は「古典的」である。

寒灯に大深海魚ひるがえる
台本の同じ場所噛む日向ぼこ
寒相撲張手の音の遠くから

 好き嫌いは別にして、「安定している」という印象がある。それがいいことかどうか、わからない。

冬薔薇の悔しいところを忘れない

 「冴ゆる夜の」もそうだったが、妙に女っぽい。と書くと、いろいろな批判を受けそうだが、受けた印象を隠しておいてもしようがないから書いておく。

 あみこうへい「雨と時計の荒ぶる生殖」は、自由律、わかち書き。

荒ぶる つくりに しやしゃんせ
ゆうくりっどの はての 生殖

 長くなるのではなく、短くなる。不安定感のなかに誘い込もうとしているのか。不安定を突き破る何かが生まれる瞬間に立ち会えるのか。何かを探していることは感じられる。とてもおもしろい世界がはじまるかもしれない。

 鈴木茂雄・野間幸恵「りん句る」。一種の「しり取り」俳句。前の作品のなかにあることば、音、文字を引き継ぎながら展開する「連句」と言えるかも。

さみしさをまてりあるして詰めてある(野間)
三島忌のリアルな腕の形かな(鈴木)
葉脈の矢継ぎばやなるミシシッピ(野間)
夏時間トム・ソーヤの早さかな(鈴木)

 このあたりの緩急自在な展開が楽しい。「夏休み」ではなく「夏時間」がとてもおもしろい。
 一句の独立としては

円錐の表面積に音がない(鈴木)

 がおもしろいと思った。

 


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