谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(13) | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(13)

(もし死が)

もし死が
あるのなら
そこから
始める

私は
もう
いないが

虚空は
在る
到る所に

目に見えず
耳にも聞こえぬ
ものに
満ちて

 谷川が「虚空」と呼んでいるものは、私には「無」に見える。まだ名づけられぬもので満ちている。「私」はいつでも「生まれる」可能性があるが、それは輪廻転生とは違う。そのつどの、一回限りの誕生があるだけだ。

 

 

 

 


(手で書き)

手で書き
目で読んで
言葉が
現場

身を
怠って
心は迷う

日々の

一瞬の
天使

どこで
詩は
成就する?

 二連目。「怠る」と「迷う」。しかし、そのとき「主役」が変わる。怠るのは「日々」、迷うのは「一瞬」か。ここでも「主役」がするりと変わる。ふたつの動詞、ふたつの時間。詩は、そのあいだで瞬くのか。

 

 

 

 

 

(静寂が沈黙を)

静寂が
沈黙を抱きとめる夕暮れ
書類が
白紙に帰る

子守唄の
旋律の
消えない記憶

明日が
捨ててある
道端

言葉は
枝先に留まっている
天と地の
隙間で

 「捨てる」ことができるものは、なんだろうか。記憶は捨てても捨ててもよみがえってくる。ことばも。たしかに「明日」(まだ存在しないもの)だけが、捨てることができるものかもしれない。