谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(11) | 詩はどこにあるか

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(11)

 

 

(育んだものは)

育んだものは
胎内で
育まれていたもの

体の
自然が
心を
満たして

愛は
意味なく
優しく

あなたは
ひとり
私に
来る

 「あなた」は私(谷川)、「私」は母、と思って読む。母の立場で谷川の誕生を書いている。そのとき、母が谷川のところへやってくる。書く、読むとき、ことばの方が谷川を読む、ということも起きる。

 

 

 

 

(どの一生も)

どの一生も
言葉に
尽くせない

一輪の
花と
同じく

唯一の
星の
頭上に
開き

誰の
哀しみの
理由にもならずに
宙に帰る

 でも、誰かが「宙に帰る」とき、残された人は哀しむ。その人が「歓び」や「愛」の理由になっていたからだ。だが、谷川はなぜ「どの」一生と書いたのか。「誰の」ではない。なぞだ。「どの詩も」と読むべきか。

 

 

 

 

 

(ゆっくり)

ゆっくり
ゆっくり
老いの
道行

路傍の
花に
目を細め

動の
得より
不動の

だが転ぶ
痣を
名残に

 「動の得より不動の徳」。「より」は比べるときにつかう。「老い」も「若い」と比較しているのか。「路傍の花」も何かと比較している。「転ぶ」も。また、「より」は原因を表すときもある。転ぶことに「より」痣。