鴎外選集 第二巻 「木精」 | 詩はどこにあるか

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鴎外選集 第二巻 「木精」

この作品は「杯」と対になっている。
こだまは自然現象。泉が湧き出るのも自然。それと、どう向き合うか。
「木精」の少年はこだまが返ってくるのが楽しみだった。しかし声変わりしたあと、こだまが返ってこなくなった。こだまは死んだと思うが、七人のこどもたちには、こだまは返事をしている。
一方、「杯」では、七人の少女は「自然」と書いたか美しい杯を持っているのに対し、青い目の八人目の少女は熔岩が固まったような杯で泉の水を飲む。
声変わりと溶岩の杯は同じ意味を持っているだろう。
さらに、「杯」の青い目の少女、「木精」の主人公のブロンドの頭は、ふたりが「日本人」ではないということでも呼応している。
そして、この呼応を決定づけるのが「七人」である。

「七人」が日本の自然主義文学の代表的作家か批評家かは、私は考慮しない。
ただ、鴎外は、「七人」から見ればよごれた声、杯に見えるかもしれないが、自分は自分のやり方で文学に向き合う、と宣言しているのだと思う。