「なぜ私が筆跡診断士として

 8ケタ収入を得られているのか」を

お伝えしている、世界観ブログです。

 

今日は、7回目の配信です。

 

1回目の記事はこちらをご覧ください。

 

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今日は

バブル世代なのにパッとしない青春時代-4

です。

 

 


一流企業のOLになったものの
仕事は暇で彼にも振られ、
虚無感だらけの毎日。


お給料はお世辞にも高いとは言えず
一人暮らしの私は
金銭面でもいつもカツカツで
他に趣味を持つとか、
習い事をするような余裕も
全くありませんでした。




当時、私の部署には
年齢50歳くらいのHさんという
お局様がいました。

といっても
偉そうにするわけではなく
深層の令嬢がそのまま年を取ったような
おっとりした人(独身)で、

でも、20代の私は
「何が楽しくて生きてるのかな?」
と失礼ながら思っていました。




Hさんは
私をとてもかわいがってくださって
いろいろなことを教えてれたのですが

何しろ暇なので、
仕事中にしょっちゅう

「かずえちゃん、おさんぽ行こう!」

と私を誘うのです。




そして、
近所の喫茶店に行って
お茶やケーキをおごってくださるのです。



周りの男性社員の方々も上司も
それを見てもとがめることもなく、
「仲が良くていいねぇ」という感じ


なんというか、
非常に家族的でほのぼのとした
職場でした。




でも、
私はだんだんそれが苦痛になって
きました。




彼のことがあったので
情熱を傾けるものが欲しかった
せいもありますが、



会社は学校と違い
3年経ったら終わりではなく
エンドレスに続く場所



会社から帰って
一人寂しく家の電気をつけるとき
自分とHさんの人生を勝手に
オーバーラップさせて

このままこの会社にいたら
私、Hさんみたいになっちゃう!
それは絶対に嫌だ!


  今思うと「超」失礼ですよね…

  ちなみにHさんは

  自称超お嬢様で

  子供の頃は乳母にそだてられた

  のだとか…

  当時はお母様と二人でお住まいだと

  言ってました




こんなぬるま湯みたいな会社に
いたら自分がどんどん
ゆるゆるになってしまう。


もっと、ワクワクしたり
自分を向上させることを
しないとマズイ!!

と、日々
焦燥感を募らせていきました。




その年の8月に、
日航機墜落事故があり、
たくさんの方が命を失う事故を
目の当たりにして

「生きたくても生きられない
 人がいるのだから
 私は、このままこんな人生を送って
 いたらダメだ!」


と、退職を決意するのでした。




苦痛も苦労もないけど
変化もない社会人生活。

「私の一生このままで終わる?!」
と思ったときが
息が止まりそうでした。
入社して1年半の出来事です。



自分で決意した
最初の大きな出来事
だったかもしれません。



ということで
次回に続きます。 m(__)m

 

 

< 第8話はこちら   第6話はこちら >

 

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