今年は、若い人との関りを増やしつつも、過去にお世話になった人にも会いに行く一年にしたい大久保です。
さて、表題についてです。この腰痛の考察は、きっと医師には分からないと思います。
初めてこのブログを見に来て下さった方は、筆者のプロフィールです。
筋トレ愛好家(趣味も仕事も含む)には、腰痛が多い・・・。これは筆者が、新卒で入社したフィットネスクラブですぐに気づいた事でした。
ベンチプレスは、もちろん行う。ショルダープレスなども行う。しかし、スクワットは「腰痛持ち」なので、出来ない・・・こういう方が多かったのです。
デッドリフトも同様でした。実施している人が少ないのです。
ちなみに、こちらが、当時の職場のベンチプレスの猛者達です。※上司や会員さま
後列右端が筆者。賞状を持っている人が神奈川県のベンチプレス選手権の出場者。皆様、入賞もしくは優勝!!
しかし、全員腰痛持ちです。筆者は、腰痛なし。フフフ。
筆者が何で、ここにいるかと言えば・・・ベンチプレスシャツを着させるのが上手かったからです(笑) シャツ要員です。フフフ。
さて、理由を考えました。
このフィットネスクラブ(クラブというよりGYMでした)
はベンチプレス100Kgを挙げないと社員として認められないというハードな職場でした。詳細は、こちらの過去ブログにて。
実は、この体験が、パーソナルトレーナー大久保の方向性を決めた一因でもあるのです。
では、その理由です。
①スプリットルーティーンが未完成
1970年代~80年代までは、スプリットルーティーン(分割法)が確立されておらず、毎回同一(どういつ)ルーティンで筋トレをしていた。よって、腰部へのオーバーワークやオーバーユースが多かった。
②支配人自身が腰痛持ち
当時の支配人が腰痛持ちであった。よって、本人がスクワットはハーフスタイルまで。デッドリフトはやらない。そのために、お客様もそれに倣っていた。※ベンチプレスは神奈川5位位に入る強い方です。
③腰痛に対する運動が未完成
まだ対処法が、確立されていなかった。今でいうコレクティブエクササイズなど皆無でした。痛ければ、そこを鍛える!=山本小鉄さん(亡くなったプロレスラー)の言葉のような幻想も存在した。何せ、運動中の水分摂取は禁止のような時代ですからね。
④メンタルが強く、耐えてしまった!!
ここが非常に大事です!メンタルはトレーニング歴と共にどんどん強くなります。反面、関節は鍛えられないので劣化しますし※筋肉は鍛えられても、関節は鍛えられないの意
よって、ここでメンタルと関節の不一致が起こります。戦前や戦後世代のメンタルが非常に強いニッポン人は、腰痛になりやすいバックボーンがあったという仮説です。
上記のような内容に興味がある方は、下記のフィジークオンラインの記事を片っ端から読んでみてください。恩師の矢野雅知先生の記事は歴史的背景が分かりますよ。※好きな人は、フェイスブックでぜひ、大久保進哉に申請してください。
筆者の勤務していたフィットネスクラブは「ベンチプレスが強い=認められる。出世する。」という文化でした。※身長160Cm.体重72Kgの時。1RMはノーギアで125Kgが最高です。
筆者は、ベンチプレスは苦手な種目だったので、何とか打開を試みたのと、「腰痛はスクワットやデッドリフト禁止」の誤解を解きたいと思ったのです。
既に、そういった学びも始めていました。そして、何より筆者は比較的下半身と腰が強かったのです。※20代中盤で、理学療法士のセミナーに参加して、「大久保さんは何者ですか?」とか言われていました。筋トレと平和を愛する者ですよ(笑)
この内容は第二弾に続きます。
こういった内容に興味のある方は、3月14日(日)20時~川崎の元住吉で開催されるこのセミナーにごご参加くださいませ。
まで参加の旨をお知らせください。筆者の経験や、先人に学んだ筋トレの歴史、偉人伝などは、次世代に伝える義務があります。コロナ禍において、それを強く感じます。
また、高額書籍ではなく、筋トレの歴史を学びたい人には、こちらをおススメします。
本日は以上です!先見性を高めるには、歴史を知ろうぜ!プロフェッショナルの流儀だと思います。