シリウスの輝きは全てを照らす | Shogo公式BLOG -5th season-

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shogo改め、Shogoです。よろしく(・∀・)

Shogoです。

 

私のブログの読者さんは

 

世界でも0.0001%ぐらいの超幸運の持ち主です。

 

 

私はある時、自分の使命に気付きました。

 

ズバリ私がやるべき事、それは

 

人々の魂のレベルを引き上げること。

 

 

魂のレベルを引き上げる方法は幾つもありますが、

 

大きく変容させようと思ったら、

 

まず二元的な価値観から離脱させることが必要です。

 

 

善悪を超えた神の目を持てるようになれば、

 

世界で何が起きても一喜一憂することは無くなります。

 

物事は常に表裏一体であるから。

 

 

 

ともかく自分のやるべき事が分かるようになると

 

神(本来の私)が何かと手を貸してくれるようになる。

 

 

つまり、この世をRPGと考えるなら

 

欲しい時に欲しいアイテムを用意しておいてくれたり

 

必要な資金をドンと 得る時期を用意してくれたり。

 

 

 

狙ったかのようなタイミングで

 

自分の身の回りで何かが起きた事は無いだろうか?

 

俺は多々ある。

 

 

そういう時いつも思うのは、

 

事象は起こるべくして起こっている、

 

なんなら「自分で起こしている」と。

 

 

 

初めにストーリーがあるのではなくて、

 

自分の思考が、時に世界をも分岐させたり、

 

全く違う展開を創造することさえ可能だと。

 

 

ベルセルクの作者、三浦 建太郎さんは既に亡くなっているが

 

どうあれ、作品は続いている。

 

 

これは俺が「続きを読みたい」と思ったからであり

 

そう望んだ数多の読者の思いが、

 

既に起きた「死」による容赦なき終了のお知らせをも

 

捻じ曲げたのである。

 

 

 

まぁ、ご本人が描いてないとはいえ

 

そういう問題じゃないんよな。

 

 

誰が描いてるとか、ぶっちゃけ関係ない面もあって

 

誰もが「代役」なんよ。ある意味においては。

 

三浦氏もまた、何者かに与えられた使命を遂行していた、

 

という感じだったのではないかと。

 

 

ベルセルクの場合、グリフィスが次元を超えて

 

三浦氏を操って書かせたのかもしれませんし。笑

 

 

 

物質の全ては「光」という本を読んで、

 

凄く納得しましたね。

 

 

この目があって初めて、そこに世界が映し出されるように

 

この世は現世に過ぎません。

 

 

現世であるならば、そこに本来なら不可能はない。

 

空を飛ぶには「翼」があれば飛べるはずだ

 

そう本気で思い込めば、空をも飛べる。

 

 

飛行機が空を飛ぶ原理ってのは

 

実は厳密には、よくわかっていないらしい。笑

 

でも飛んでる。

 

 

 

それは、何となく飛べそうに見えるから、だと思う。

 

んなアホな、と思うかもしれないが

 

思い込む、信じ抜くことには、それだけの力があるのだ。

 

 

 

人間の体のままで、空を飛びたいと思っても

 

まぁ飛べないわけだが

 

それは「まぁ、飛べないよね」と頭で分かっているからだ。

 

 

自分を騙すことなく

 

魂で腑に落ちる事象は絶対に現実化する。

 

 

つまり、自分の中にある凝り固まった常識とか先入観

 

これを正真正銘打ち破る事が出来た時

 

出来ないと思っていたことが あっさり出来たりする。

 

 

 

不可能と思っていた事を可能にするためには

 

とにかく様々な角度から物事を検証することが大切。

 

押して駄目なら引いてみろ、的な。

 

 

 

あとは、守りに入らない事も大切。

 

2025年7月に隕石が落ちるという話がありますが

 

それで長野県に移住してる人が 割と居るみたいで。笑

 

 

 

そうじゃないっていうか、

 

仮にじゃあ生き延びて、あなたは何するんですか?

 

っていう方が重要で。

 

 

 

生き長らえた先に、その命で何をするのか

 

それが見えている人は、そうそう死にません。

 

死ぬ時が来たならアッサリ死ぬにしろ

 

その時機でないなら、何があろうが絶対死にません。

 

 

死ぬタイミングを、世界に握られていると思う事自体が

 

とんだ錯覚じゃないでしょうか。

 

 

神は、「これで安心だ」などと勘違いしてる馬鹿から

 

容赦なくブッ殺していくのが趣味

 

みたいな所があると思うんですよ。

 

(例:コロコロのワクワクがそう)

 

 

 

主の望みは、人類の霊的なレベルアップですから

 

そこに貢献した者には当然褒美が与えられますし

 

その逆を行えば速やかに抹殺されます。

 

 

貧乏に甘んじている事も悪、と言えます。

 

だからビルゲイツは大富豪になれるんです。

 

かなり貢献してますもん。

 

 

 

彼がやっている事は、確かに「悪」の側面もあるが

 

同時に数え切れないほどの庶民を覚醒の入り口位には

 

連れて行ったではありませんか。

 

 

ボケーっとこう、

 

与えらえたテレビのドラマやニュースだけ見て

 

それを鵜吞みにして、ゲラゲラ笑ってる阿呆共の方が

 

圧倒的に「悪」でしょうよ。

 

 

 

だって何の向上心もないもん。

 

悪を見ても、見て見ぬふり。

 

或いは悪を悪だと決めつけて

 

まるで自分は「善人」だと思って生きている。笑

 

 

 

こういうのを「分からせる」には

 

やはり残念ながら 深手を被って頂く他に無いわけです。

 

そして他者を責めるのではなく

 

己が無知を恥じて頂く必要があるということです。

 

 

 

自己研磨とか自己啓発ばっかりして

 

そんなもん何の向上心でもないんです 実は。

 

ただ自分が可愛いだけの奴に未来は必要無いです。

 

 

 

本当に自分を大切にするっていうのは、

 

清く美しくいるだけでは駄目で

 

ベタな話ですが中庸を行く、ということです。

 

 

フル勃起で座禅する、みたいな感じでいいと思います。

 

こういうのが、神からすると大好物だと思うんですよね。

 

二面性を内包してこそ面白いのであって。

 

 

 

時には聖人、時には狂人。

 

この振れ幅が、魂のレベルアップにつながる。

 

中庸とは平凡に生きろという意味ではなく、

 

両極端を内包するっていう事です。

 

 

 

天使とも悪魔とも上手いことやるんです。

 

悪魔とは仲良くしてはいけない、とか

 

天使とは仲良くした方がいい、とか

 

それ自体が思い込みなのです。

 

 

 

自分の中にも善玉菌と悪玉菌が住んでいるように

 

どっちも敵じゃないし味方でもないんですよね。

 

あいつらを許すっていうのが大切で。

 

 

汝の敵を愛せよ、というように

 

何かを敵視している時点で間違っているのです。

 

その敵は、ひいては自分の鏡だから。

 

 

 

誰かを殴れば

 

必ず自分の手も痛いはず。

 

それと同じである。

 

 

 

今回のブログも

 

見る人が見れば…。

 

全く話の内容と違うメッセージに気付くでしょう。

 

 

 

過去にもヒント出してますけども。

 

それに気付けるのは ほんの一握りの人だけでしょう。

 

我ながら仏のようだ。