古典定跡 赤縣敦菴 撰 象戯綱目を考える01(平手定跡編) | 将棋・序盤のStrategy ~ 矢倉 角換わり 横歩取り 相掛かり 中飛車 四間飛車 三間飛車 向かい飛車 相振り飛車 ~

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オールラウンドプレイヤーを目指す序盤研究ブログです。最近は棋書 感想・レビューのコーナーで、棋書の評価付けもしています。

最古の棋書を調べたら、こんなwikipediaのページが出てきた。
江戸時代の棋書

この一覧を読んだ限りでは、
赤縣敦菴(あかがたとんあん)という人物がまとめた、
象戯綱目(しょうぎこうもく)という本が一番古い定跡書らしい。

調べたところ、早稲田大学の古典籍総合データベース で、
その内容が知れるようなので、早速読んでみた(便利過ぎる)。

が、残念な事に、崩した字が多くて私には解説が殆ど読めない。

という訳で、風情も無くバサバサと今の私の目で書いていきますけど、
詳しい方がいたら助けてください・・・

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12ページ

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲3六歩 △4三銀 ▲5八金右 △5二飛
▲2五歩 △3三角 ▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二玉
▲9六歩 △9四歩 ▲5七銀 △6二銀 ▲4六歩 △3二金
▲1六歩 △1四歩 ▲3八飛 △6四歩



ツノ銀中飛車。題名は「対馬駒組先手後手」と読むのだろうか。
「対馬」という言葉は何かを表しているようだが、私には読み取れない。

肝心の手順は、現代的に見てもそれほど違和感を感じない。

13ページ 1

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲3六歩 △4三銀 ▲5七銀 △3二飛
▲2五歩 △3三角 ▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二玉
▲5八金右 △6二銀 ▲9六歩 △9四歩 ▲6八銀上 △8二玉
▲6六歩 △6四歩 ▲6七銀 △7二金 ▲4六歩 △6三銀
▲3七桂



三間飛車。
解説には、△6二銀の後に△5三銀△5二金左とも組むと書いてある(ように見える)。
かなり中央志向が強く、お互いに位に対する意識が強い手順のように感じる。
最終手、▲3七桂は現代棋士なら恐らく指さないだろう。桂頭が弱い。

13ページ 2

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲3六歩 △6二銀 ▲7八銀 △4三銀
▲2五歩 △3三角 ▲7九角 △3二金 ▲7七銀 △5三銀



雁木戦法。
「雁木戦法は角交換不利」というのが現代の定説なので、
今の目で見ると、△3三角には少しばかり抵抗感がある。
先手の駒組は自然で、恐らく△5三銀の局面はやや先手指し良いか。
当時、駒組で優劣が決まるという概念がどれほどあったか分からないが。

13ページ 3

▲7六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4四歩 ▲5六歩 △3二銀
▲2六歩 △4二飛 ▲3六歩 △6二玉 ▲6八玉 △7二玉
▲7八玉 △9四歩 ▲9六歩 △6二銀 ▲5八金右 △8二玉
▲6八銀 △7二金 ▲3七銀 △4三銀 ▲2五歩 △3三角
▲7七銀 △4五歩 ▲7九角 △2二飛



四間飛車 対 居飛車引き角棒銀。
引き角棒銀は昭和の時代も指されていたから、
長持ちした定跡と言えるのかもしれない。

解説で、▲2四歩△同 歩▲同 角△2二飛の手筋に触れているが、
にも関わらず、△2二飛と受けるのを本筋にしてるんだなーと思った。
最終手△2二飛を利かされと見るようになったのは最近の話。

13ページ 4

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲3六歩 △3三角 ▲2五歩 △4二飛
▲5八金右 △6二玉 ▲6八玉 △7二玉 ▲7八玉 △6二銀
▲1六歩 △1四歩 ▲9六歩 △9四歩 ▲3七銀 △4三銀
▲6八銀 △8二玉 ▲7七銀 △7二金 ▲7九角 △2二飛
▲6六歩 △5三銀 ▲6七金 △6四歩



四間飛車 対 居飛車引き角棒銀その2。
「5筋の位は天王山」なんて格言があったけど、
中央の価値が凄く高かった時代なんだろうな。

これは勝手な憶測なんだけど・・・
初形から飛車角を抜くと左右対称だから、
真ん中で優位になったら何となく良さそう、とか、
何かそんな感じの概念があるのかなと思う。
今より研究の精度はどうしても落ちるから、
具体性より概念が先に行く面はあったんじゃないかなー?
いや、ホントいい加減に言ってるだけだけど。

実は後手のような陣形も試した事がある。
先手の攻めをブロック出来れば良いけど、
玉周辺、特に玉頭が弱すぎて最後は負けた。
面白そうな発想があれば指しても良いかなー。

14ページ 1

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲4六歩 △4三銀 ▲4七銀 △5四歩 ▲3六歩 △6二銀
▲5六銀 △5三銀 ▲4八飛 △8四歩 ▲7八銀 △8五歩
▲7七角 △7四歩 ▲5八金右 △3二金 ▲6八玉 △4二玉
▲3七桂 △5二金 ▲1六歩 △1四歩 ▲7九玉 △9四歩
▲9六歩 △3一玉



右四間飛車 対 雁木。
先手の陣形は現代でも通用する構え。

雁木 対 右四間ってどうなんだろう?
いや、後手を持ったら△6二玉と指したいし、
先手を持ったら▲3七桂と指したくないんだけど。

14ページ 2

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲3六歩 △4三銀 ▲5八金右 △6二銀
▲6八玉 △5三銀 ▲2五歩 △3三角 ▲4六歩 △8四歩
▲7八銀 △7四歩 ▲5七銀 △3二金 ▲7七銀 △6四銀
▲6六銀右 △8五歩 ▲7八玉 △9四歩 ▲9六歩 △4一玉
▲7九角 △5二金



変形矢倉 対 雁木。
とにかくこの時代の後手は銀を中央に並べたいようだ。

▲6六銀右の対抗は先手が損だと思うので、最終図は後手を持ちたい。

15ページ 1

▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △4四歩 ▲7八銀 △4二銀
▲7七角 △4三銀 ▲6八飛 △3三角 ▲4八玉 △2二飛
▲3八玉 △6二玉 ▲5八金左 △7二玉 ▲6七銀 △5二金左
▲6五歩 △2四歩 ▲4八金上 △2五歩 ▲2八銀 △3五歩
▲6六銀



相振り飛車。
中央志向の将棋が多かったので、急に現代に戻った気分。

相振り飛車で四間飛車は効果薄。
▲6六銀は見せかけの好形で、狙いに乏しい。
現代は具体性を重んじる傾向が強いし、
多分、将棋の真理もそういう方向性で合っているような気がする。

15ページ 2

▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀 ▲7八銀 △6四歩
▲6七銀 △6三銀 ▲7七角 △7四歩 ▲6八飛 △8四歩
▲4八玉 △6二飛 ▲3八玉 △4二玉 ▲4八銀 △3二玉
▲5六歩 △5四銀 ▲5七銀 △5二金右 ▲5八金左 △9四歩
▲9六歩 △1四歩 ▲1六歩 △7三桂



四間飛車 対 右四間飛車。
先手は6筋を全力で守っているので、これで潰されたら悲しすぎる。
結論はどうなのか分からないけど、

感覚的に、先手の陣形を相手に右四間をしたいとは思わないが、
△7三桂と跳ねずに持久戦にすれば、後手が作戦勝ち出来そうだ。
先手陣は玉頭方面がペチャンコなので、位が取れれば後手が勝つ。
でも、位は阻止するだろうから、穴熊を狙った方が良いのかな。やっぱり。

16ページ 1

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲4六歩 △4二飛 ▲4七銀 △4三銀 ▲2五歩 △3三角
▲3六歩 △6二玉 ▲6八玉 △7二玉 ▲7八玉 △6二銀
▲5八金右 △8二玉 ▲3七桂 △5四銀 ▲5六銀 △7二金
▲9六歩 △9四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲2六飛 △5一金
▲3五歩



四間飛車 対 急戦。
これまで組み上がるところまでしか解説してなかったが、
ようやく▲3五歩と仕掛けた。

で、▲3五歩を△同 歩と取ると何だろう・・・?
▲4五歩△6四歩▲2四歩△同 歩▲4四歩△同 角
▲同 角△同 飛▲4五歩△3四飛・・・
こうなるなら、3筋は突き捨てない方が良い。
端で歩を調達する意味だろうか?

16ページ 2

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲4六歩 △4二飛 ▲4七銀 △3三角 ▲3六歩 △6二玉
▲6八玉 △7二玉 ▲7八玉 △4三銀 ▲5八金右 △5二金左
▲2五歩 △8二玉 ▲5六銀 △5四銀 ▲3七桂 △7二銀
▲9六歩 △9四歩 ▲6八金寄 △6四歩



四間飛車 対 急戦。
振り飛車美濃囲い!やっと出てきた。目に優しいぜ(笑)
形勢自体もそれなりにいい勝負に見える。

ん?でも待てよ・・・
確かwikipedia では・・・?

美濃囲いはなかなか現れず、
1765年(明和2年)に、ようやく左香落ちの上手の形として棋譜が残る。

(中略)
平手における通常の振り飛車美濃囲いは
さらに半世紀経った1821年(文政4年)の棋譜に登場する。


いやいや、象戯綱目は1707年の本でっせ。
棋譜は無いんだろうけど、誰かが指してなかったら定跡書に載らないでしょう。

要するに、振り飛車美濃囲いという概念はあったけど、
中央志向の時代においては人気が無かった、って事だろう。
現代人が振り飛車の△6二銀を見て「玉が薄いじゃん、プププ」と思うように、
当時美濃囲いなんか指したら「中央が薄いじゃん、プププ」と思ったんだろうね。
そのくらい、現代においては玉を堅く囲う事が当たり前だ。

だから、新しいアイディアが残されているとしたら「玉を囲わない」事にある。
とは言え、流石に玉より大事なものは無いんだから、
恐らくそのカギは「玉を囲わせない」となるだろう。

「玉を囲わせない」という事は「スピード」を重視するという事。
実際、現在はどの戦型もいち早く攻める事に敏感な時代だ。
で、そうすると結論が出やすくなるから研究合戦が避けられず、
そこを抜け出すなら「スピード」以上の要素を探すしかないんだけど、
それはなかなか見つからず、結局研究合戦に参加するしかなくなっている。

「スピード」を押さえつける「厚み」辺りが開拓されると面白いんだけど、
少なくとも、主流になるほどの市民権は得ていない。
案外、江戸時代の中央志向の将棋にヒントがあったりして(笑)

16ページ 3

▲7六歩 △3四歩 ▲7五歩 △4四歩 ▲7八飛 △4二飛
▲7六飛 △3二銀 ▲9六歩 △9四歩 ▲7七桂 △5二金左
▲9七角 △6二玉 ▲6八銀 △4三銀 ▲5八金左 △4五歩
▲4八玉 △7二玉 ▲3八玉 △5四銀



ご存知石田流も、この時代には既にあった。

石田流が指されるようになったのが江戸の中期。
象戯綱目も江戸の中期の本だから、
最新定跡を扱ったものだったのかもしれない。

上でも書いたけれど、
相振り飛車と四間飛車は相性がそれほど良くない。

17ページ 1

▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △3五歩 ▲4八銀 △3二飛
▲4六歩 △3四飛 ▲7八銀 △1四歩 ▲4七銀 △1三角
▲5八金左 △3三桂 ▲6九玉 △6二玉 ▲6七銀 △7二玉
▲7八玉 △5二金左 ▲2六歩 △4二銀 ▲2五歩 △4四歩
▲3八金 △2四歩


石田流には金銀で押さえ込むべし、という考え方はこの当時からあったようだ。
対する石田流側も抑え込みをかい潜るべく△2四歩。なるほど理論的だ。

とは言え、上図は居飛車が良いと思う。
飛車交換を挑むには、後手に隙が多い。

17ページ 2

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8八角成 ▲同 銀 △3三角
▲2八飛 △2六歩 ▲4五角 △2二飛



横歩取り風の出だし。
現在の定跡は▲4五角ではなく▲7七桂だが、
それでも冴えないので▲7八金と上がりましょうね、となっている。

17ページ 3

▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩
▲2八飛 △5二金 ▲5八金 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲8七歩 △8二飛 ▲6九玉 △7二銀 ▲4八銀 △4一玉
▲2二角成 △同 銀 ▲8八銀 △3三銀



相掛かり模様。
お互いに横歩を取らないのが今見ると新鮮だ。

横歩を取ると手損するからダメ、っていうのが江戸時代。
手損すると具体的に何がダメなの?っていうのが近代。

加えて、お互いに引き飛車というのも現代では珍しいが、
当時は当たり前の形。

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定跡書とは言っても、
現代のそれとは意味合いが全く異なっていて、
どちらかというと形の紹介、という感じ。

これだけ見ると、当時はまだ定跡が未整備で、
「組み上がった後は力で来い!」・・・というようにも見えるが、そうではなく、
撰者である赤縣敦菴が将棋家の人間ではない、という事が大きいと思う。
これより後、大橋宗英によって書かれた「将棋歩式」は、今見ても凄い。

なお、象戯綱目は定跡・棋譜・詰将棋の三部構成となっている。
当時としてはかなり贅沢な部類の本だったのではないだろうか。
こうした本が出るという時点で、将棋の普及が浸透してきている事がわかる。

将棋家は、17世紀半ばに幕府から家禄を与えられ、
徳川幕府公認の技芸として認められた。
これにより、名人を基準とした段位が整備されていく。
棋力の基準がある事は、普及の点において画期的だっただろう。
象戯綱目も、そんな普及の高まりの中で生まれた棋書である。
もっとも、名人を基準にすると、アマチュアの棋力までは正確に測れず、
奨励会6級はアマチュア4段クラス、なんていう曖昧さが現代も残っている。

また、駒落ちの基準が決められたのもこの頃。
今でも時折話題になる、角落・香落間の落差も、
江戸時代から現在まで、何も変わっていない。
現在の目で見て、違和感を感じるのも当然だろう。
しかし、平手全盛の現在において、
その基準が見直されるのはもう少し後の話になりそうだ。

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