読者の皆様こんにちは。雁木師でございます。さて、先月は将棋界にとって大きな出来事がありました。永世女王の資格を持つ西山朋佳(にしやま・ともか)女流三冠がプロ棋戦の対局で既定の成績を収め、棋士編入試験に挑戦されることを表明し、申請書を提出されました。
そして、今月9日。編入試験の詳細が発表され、第1局は9/10(火)に行われることになりました。
かつて奨励会では次点の成績を収めたこともあり、プロ棋戦でも佐々木大地七段や木村一基九段といった実力者からも堂々と勝ち星を挙げている西山女流三冠。福間香奈女流五冠の編入試験以上にファンの期待が集まっております。
注目の西山女流三冠の話は後述することにして、今日はコミックをご紹介します。今回はこちらでございます。
「永世乙女の戦い方⑪」
をご紹介します。
原作はくずしろさん、監修は香川愛生(かがわ・まなお)女流四段。ビッグコミックスペリオールより2019年10号より連載開始。単行本の最新刊となる本書は先月発売されました。
くずしろさんについてはこちらから。
香川女流四段についてはこちらから
なお、香川女流四段の今期の女流棋戦では充実の成績を収めています。女流順位戦はB級で6勝3敗の成績で、来期のA級昇級を決めています。マイナビ女子オープンでは、予選を突破し本戦トーナメント進出。本戦トーナメント1回戦では加藤桃子(かとう・ももこ)女流四段と対局します。女流王座戦では、一次予選から勝ち上がり本戦進出。本戦トーナメントでは1回戦で上田初美(うえだ・はつみ)女流四段、2回戦で和田あき(わだ・あき)女流二段に勝ち準決勝進出を決めました。準決勝の相手はこちらも加藤桃子女流四段です。女流王将戦では、本戦トーナメントからの登場。1回戦で山口恵梨子(やまぐち・えりこ)女流三段、2回戦で今井絢(いまい・あや)女流初段に勝って準決勝進出です。
また、香川女流四段は今月からオフィシャルサイトとファンクラブを立ち上げられました。
では、コミックの内容に入ります。前回のおさらいをしたいという方は下記リブログ記事をご参照ください。
この物語の主人公は、現役女子高生ながら女流棋士の早乙女香(さおとめ・こう)。現役最強の女流棋士である天野香織(あまの・かおり)とのタイトル戦での戦いを目標に奮闘する日常を描いた作品です。第11巻となる本書では、いよいよ香と香織のタイトル戦がマイナビ女子オープン五番勝負にて実現。第1局の内容が描かれています。
香は対局前から香織のもつオーラに圧倒されて平常心を失う中、対局は対抗形で急戦調の将棋に進行。形勢は互角に進む中、香織が意表の一手を放ちます。
香は考慮中に読みに迷いや雑念が入ってしまい、集中力を失いかけながらもなんとか喰らいつきますが、香織は容赦なく揺さぶります。果たして、第1局の行方は?
その後は対局後の香と香織の姿が描かれ、第2局につながっていく流れです。ページ数の8割は第1局の描写に費やされています。
なお、紙媒体のコミックスでは、今回も表紙をめくると詰将棋が出てきます。腕試ししたい方は、ぜひ挑戦してみてください。
ここまでが本書の流れです。ここからは、実際に読んだ感想を短歌にまとめました。
憧れに
向き合うときは
時として
憧れを捨て
想いをぶつける
昨年の流行語大賞にノミネートされた言葉にこんなものがありました。
「憧れるのをやめましょう」
これは昨年3月に行われた、野球の国際大会WBCの決勝戦の前に大谷翔平選手が試合前にチームメイトに向けた言葉です。どんな意味が込められているかは、前述のリンクをご参照いただくとして、本書における香はいままさに「憧れ」と向き合っている状況であることを短歌で表現してみました。
天野香織という人物は様々な見方ができる人間です。香のように憧れの存在として見ている者もいれば、前巻で紹介した津雲のように敵意の目で見る者。そして、空のように弱く見る者…。ゆえに、様々な人間を引き込み、惑わし、絶望に追い込む力もある。ゆえに女王なのかもしれません。
本書における香にとって、香織は言うまでもなく憧れの存在。ようやく憧れの人とタイトル戦で対局できる。それだけで緊張がありながらもワクワクする気持ちが描かれています。
しかし盤を挟めば、憧れも吹っ飛ぶ描写が描かれています。絶対女王の香織に盤上でも盤外でも圧倒されていく中で必死に抵抗する香。ときどきコミカルな描写を織り交ぜながらも、女王の怖さを身をもって知る挑戦者の表情が丁寧に描かれています。
全体としては真剣勝負の描写が多いですが、脇役はコミカルなタッチで描かれていることが多いです。
さてここからは、西山女流三冠の棋士編入試験について触れていきたいと思います。まずは今回の試験官を見ていきます。棋士編入試験の試験官は5名。棋士番号の最も大きい番号の棋士=新人棋士が担当されます。ここで今回の試験官をご紹介します(なお、成績は本日時点でのものです)。
1局目…高橋佑二郎(たかはし・ゆうじろう)四段。千葉県船橋市出身。実力派棋士を輩出する加瀬純一七段門下の棋士の1人です。棋士総会恒例の新人挨拶では、サザンオールスターズの「真夏の果実」を熱唱したことでも話題を集めました。
今年度の成績はここまで5勝3敗。順位戦はC級2組で2勝1敗の成績です。
日本将棋連盟アプリの棋譜を見た限りでは、居飛車党で角換わりをよく指すタイプの棋士です。特徴としては入玉の将棋が多く、粘り腰の強い棋士に見えます。
2局目…山川泰煕(やまかわ・たいき)四段。宮城県仙台市出身。同郷の先輩は、現在NHK将棋フォーカスの講師を担当されている中川大輔八段。広瀬章人九段門下の棋士で、広瀬九段にとっては初めての弟子の四段昇段となりました。今年度の成績は5勝3敗。順位戦は1勝2敗の成績です。
居飛車党の棋士で連盟アプリの棋譜を見た限りでは、相掛かりの将棋が多いです。気になるのは、対振り飛車の将棋で負け将棋の棋譜が2局残されていたこと。5月に行われた、第96期棋聖戦での一次予選、阿部光瑠七段戦では阿部七段の四間飛車に対して、対抗形から機敏良く仕掛けたもののうまく受け止められてしまい、74手で敗れています。
西山女流三冠は振り飛車党ですので、どこに飛車を振るかによって戦い方は変わりますが、興味深い対局といえそうです。
3局目…上野裕寿(うえの・ひろとし)四段。兵庫県加古川市出身。師匠は関西有望株を次々と輩出している井上慶太九段です。昨年デビューし、いきなり新人王戦で優勝。今年度の成績はここまで9勝3敗。竜王戦は6組、順位戦はC級2組で2勝1敗の成績。6~7月には公式戦6連勝を記録しました。
また、非公式戦では今期のABEMAトーナメントに兄弟子の稲葉陽八段から指名を受け、同じく同門の藤本渚五段と3人で「チーム稲葉 井上一門」を結成されました。予選Dリーグでは、成績は2勝4敗とやや物足りないですが、第1試合8局目におけるチーム佐々木の久保利明九段戦では、対抗形から厚みを築いてペースをつかむと「粘りのアーティスト」とも呼ばれる久保九段の猛攻を振り切り勝利。同郷の大先輩を破って、チームの勝利を決める大きな1勝をあげました。この活躍もあってチーム稲葉は予選1位で本戦トーナメント進出。本戦1回戦の相手は「チーム中村 長考派」です。
居飛車党の棋士で、連盟アプリを見る限りでは矢倉をよく指している印象です。新人王戦優勝を決めた一局も矢倉の将棋ですが、大逆転での勝利でした。前述のABEMAトーナメントでの久保九段戦では久保九段の三間飛車に銀冠で対抗。ただし、フィッシャールールでの戦いでしたので参考になるかどうかは難しいところです。
今回の編入試験では、この上野四段との戦いが最大のヤマ場とも言われています。
4局目…宮嶋健太(みやじま・けんた)四段。岐阜県岐阜市出身。師匠は大野八一雄七段で、大野七段門下初めてのプロ棋士です。奨励会を入会して一度退会し、再び研修会経由で再入会した苦労人でもあります。今年度の成績はここまで7勝6敗。竜王戦は6組、順位戦はC級2組で2勝1敗の成績です。
連盟アプリを見る限りでは、居飛車党の棋士で雁木をよく指す棋士です。振り飛車相手の棋譜も4局確認できましたが、このうち負けた2局はどちらも四間飛車相手に敗れています。4月に行われた王将戦一次予選、森本才跳四段戦では、森本四段の四間飛車に対し舟囲い急戦で対抗。序盤早々に馬を作られて苦戦を強いられ、懸命に受け続けるも敗れました。
西山女流三冠の豪快な振り飛車が上手くハマれば、勝機は十分にあるかもしれません。
5局目…柵木幹太(ませぎ・かんた)四段。愛知県西尾市出身。師匠は増田裕司七段で、増田裕司七段門下初のプロ棋士で森信雄一門の系譜を継ぐ棋士です。今年度の成績は4勝4敗。竜王戦は6組、順位戦はフリークラスで、まずは順位戦の参加資格の獲得が目標となります。
連盟アプリを見る限りでは、居飛車党で角換わりや相掛かりを指す印象です。気になったのは対振り飛車の将棋がこれまでの試験官の中で最も多くの棋譜が残っていたこと。三間飛車や四間飛車が多いですが、負け将棋が多かった印象があります。5月に行われた加古川青流戦での生垣寛人三段戦では、生垣三段の三間飛車に対し、金無双急戦で対抗。積極的に踏み込むも、生垣三段のカウンターにうまく対応できず敗れました。そのほかの棋譜を見ても、積極的に攻めていくもののあと一歩届かず負けている印象があります。
西山女流三冠は三間飛車も得意戦法の1つです。攻め合いから勝機をつかめるかがポイントになるかもしれません。
以上、試験官5名の特徴を簡単に振り返ってみました。総合すると全員居飛車党の棋士ですが、鋭く攻めてくる棋士、粘り強い指し回しでスキを与えない棋士、着実にポイントを重ねて優位を築く棋士など戦い方は千差万別。しかし、振り飛車相手に負けている棋譜もあるので、攻略できないわけではないようです。
では次に、西山女流三冠の今期を見ていきます。今期の西山女流三冠の成績は女流棋戦で15勝1敗。勝ち星と勝率は全女流棋士ランキングの第1位です。負けた相手は加藤桃子女流四段で、清麗戦の挑戦者決定戦という大一番での敗戦でした。
対プロ棋士戦での成績は4勝1敗。敗れた相手は佐々木大地七段で、朝日杯将棋オープン戦の一次予選での敗戦でした。
続いて、西山女流三冠の今後のスケジュールを見ていきます。女流棋戦では白玲戦での防衛戦が今月31日に開幕します。挑戦者は宿命のライバルといっても過言ではない福間女流五冠。龍虎相まみえる決戦に注目が集まります。
そのほかの日程が決まっていない棋戦では、女流王座戦本戦トーナメント準決勝で、室谷由紀女流三段戦が組まれています。しかし、室谷女流三段は後述しますが出産のため、昨日からの休場が発表されており、実際に対局が行われるかは不透明な状況です。女流名人戦では挑戦者決定リーグに在籍しており、現在5勝0敗で首位をキープしています。6回戦の相手は渡部愛女流三段です。倉敷藤花戦では準々決勝まで進出。次の相手は山口仁子梨女流1級です。
今度は公式戦での日程です。なんといっても注目は、9/15(日)に放送予定のNHK杯2回戦。相手は藤井聡太竜王名人というゴールデンカードといってもいいカードが実現しました。果たして絶対王者に豪腕が炸裂するか、ぜひご注目ください。
その他の棋戦では、日程が確定していませんが、第73期王座戦の一次予選で神谷広志八段戦。棋聖戦の一次予選で小山怜央四段との対局が決まっています。
ここまで、今後の西山女流三冠のスケジュールを見てきました。課題は福間女流五冠の編入試験の時もそうでしたが、女流棋戦やタイトル戦と編入試験を並行して戦うことになるので、コンディションの調整が難しいのではないかというところです。福間女流五冠も女流棋戦や公式戦と並行してに編入試験に挑戦されていたので、コロナ禍も相まって調整が大変だったと推察されます。
ここまでは、西山女流三冠の編入試験合格の可能性を見てきました。ここからは、もしも女性棋士が誕生したらどうなるのかという部分を考えてみます。
かつて旧ブログ時代でも西山女流三冠の大活躍を取り上げたことがあり、その際にも女性棋士が誕生したときにどんな問題が起きるかということを書いたことがありました。
この時にも書いたのですが、女性棋士が誕生した場合、将来的に出産や育児による休場をどう取り扱うべきかは大きな課題としてとらえるべきではないかと考えます。参考になるかは不明ですが、女流棋戦では、出産や育児によって休場する場合は休場する前に対局をかなり消化していく慣習があるようです。先ほど述べた室谷女流三段の場合は7月に4局、今月も2局と女流棋士の中でもかなりのペースで対局を消化されています。室谷女流三段は女流タイトル戦にも挑戦された経験もある実力者なので、比較的対局がつきやすい女流棋士ではありますが、いくら実力者と言えども身重の状態での対局は心身にかなりの負担を強いられることは想像に難くありません。先日行われた倉敷藤花戦の準決勝。室谷女流三段は上田女流四段に勝って挑戦者決定戦に駒を進めましたが、対局中もおなかをさすっていたという記事があり、かなり辛い戦いだった様子がうかがえます。
もちろんスポンサーあっての対局ですので、円滑な棋戦運営のためにも不戦敗は極力避けたいものです。女流タイトル戦では、挑戦者の出産で日程を延期したという前例はあるものの、プロの公式戦で出産のために対局を延期したという事例は、私の中では見聞きしたことはありません。円滑な棋戦運営と将棋界に生きる女性達の人生の充実の両立をどう図っていくか。新しい将棋界の課題といえるべきかもしれません
そしてもう1つの大きな課題は、公式戦と女流棋戦を並行して戦えるのかという問題です。今から5年前、日本将棋連盟は女流棋士や女性奨励会員の棋戦参加について、とある規定を発表されました。
ポイントは1つ目
「女流棋士が棋士編入試験に合格した場合、女流棋戦、及び棋士公式棋戦の両方に出場することが出来る」という規定についてです。西山女流三冠は言うまでもなく女流棋士ですので、この規定に沿えば編入試験に合格したらプロ棋戦と女流棋戦の両方に出場することが可能となります。とはいえ、いくら可能と言えども現実問題としてプロ棋戦と女流棋戦を並行して戦うのは至難の業と言ってもいいでしょう。
現在のタイトル戦はプロ棋戦、女流棋戦ともに8つ。プロ棋戦の場合はこれに加えて一般棋戦と呼ばれるトーナメント戦もあります。もちろん女流棋戦でも一般女流棋戦と呼ばれるトーナメント戦があります。プロ棋戦、女流棋戦のすべてに参加することは相当の厳しさがあると考えられます。そこで考えられるのは、女流タイトルの返上、および女流棋戦の不参加の可能性です。
これも参考になるかは不明ですが、福間女流五冠(当時里見)は、かつて奨励会に在籍していたころに体調不良のために休場。当時持っていた女流王座のタイトルを返上したことがありました。プロ棋戦に軸を置くか、女流のトップランナーとして君臨し続けるか…。考え方は様々ありますが、西山女流三冠が棋士になられた場合は、将棋人生において大きな選択を迫られる可能性は考えられるでしょう。
ここまで、女性棋士が誕生した場合に起こりうる課題を考えてきました。いつの時代も、どこの世界でも同じことかもしれませんが、道を切り開く人間の苦労は果てしないものがある。そう感じます。西山女流三冠の編入試験合格への期待は大きい一方、女性棋士が誕生した場合にどんな問題が起きるのかという課題はまだまだ見えない部分が大きい面もあります。ともあれ、まずは編入試験の行く末を一将棋ファンとして見守りたい。そんな心境です。
さて、コミックに話を戻します。本書は女流棋士、女流棋界の世界を知る上で欠かせないコミックと言えるでしょう。女流棋界に興味のある方は、ぜひ読んでいただきたい一冊です。今年は女流棋士が誕生して50年の節目です。そんな節目に大一番に挑む「永世女王」の戦いぶりを楽しみにしながら、このコミックをお楽しみください。
この本を読んで将棋に興味を持った、将棋が好きになったというお声をいただければ、これほどうれしいことはありません。読者の皆様が将棋本を読んで、将棋に興味を持つ、将棋が好きになることを祈念いたします。そして、女流棋界の発展と西山女流三冠の今後のご武運もあわせて祈念いたします。
今日はここまでとさせていただきます。本日も長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。