将棋ポエム「編入試験」 | 将棋大好き雁木師の新将棋文化創造研究所

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「将棋大好き雁木師の将棋本探究」をリニューアルしたブログです。
主に将棋に関する詩などの作品紹介と、自分の将棋の近況報告を行います。

読者の皆様こんにちは。雁木師でございます。今日は将棋ポエムの作品発表です。早速作品を披露いたします。

 

編入試験

 

一度は断たれた

棋士への道

 

それでも

諦めきれなかった

 

将棋が好きだから

棋士になりたい

 

アマの舞台で

戦い続け

 

プロ棋士相手に

勝ち続け

 

やっと掴んだ

棋士への道

 

絶対に3勝して

夢を掴む

 

それがゴールで

そしてスタートになる

 

 

解説:今回の作品はいかがだったでしょうか。ここからは、作品と将棋にまつわる解説です。

まずは作品の解説から。今回は、プロ棋士編入試験というプロ棋士になるためのルートを題材にした作品です。プロ棋士編入試験については、以前「三段リーグ」というポエムを発表したときに詳しく解説したので、下記リンク記事からご参照ください。

 

 

今回の作品で伝えたかったのは、プロ棋士編入試験の意味合いを考えるというものです。この制度ができてから20年近く経ちます。この試験に挑戦された方は、全員奨励会や研修会などで「挫折」を経験された方ばかりです。それが前半の文章

 

「一度は断たれた

棋士への道

それでも

諦めきれなかった」

 

に表現してみました。後ほど触れますが、棋士の誕生は現在は半年に2~3人、年間でも4~5人ほど。棋士になれずに奨励会や研修会を去る人間がほとんどです。しかし、いつの世もどの世界にも諦めきれない人間がいるのが社会。プロ棋士編入制度は、そうした方たちのために作られた制度でもあります。

もちろん、編入試験の資格を得るには条件が必要ですが、その1つにプロ棋士相手に高勝率をあげること。トーナメント戦が多い、将棋の公式戦においてアマチュア選手がプロ棋士相手に高勝率を収めるのは至難の業と言えます。

 

「やっと掴んだ

棋士への道」

 

は編入試験の資格を獲得した時を表現してみました。

 

「絶対に3勝して

夢を掴む」

 

これは、編入試験合格の条件であるプロ棋士相手に3勝することを意味し、何としてでも勝ってプロになるという意識を込めています。そして最後の文

 

「それがゴールで

そしてスタートになる」

 

は、とある棋士の「四段昇段の記」のタイトルからインスピレーションを得ました。その棋士とは今泉健司五段。後述しますが、プロ棋士編入試験を合格してプロ棋士になられた方の1人です。今泉五段の四段昇段の記のタイトルは

ゴールラインはスタートライン

というもの。長かった奨励会時代から、将棋と決別した頃。そして、編入試験の戦いとこれからについて書かれています。詳しく読みたい方は将棋世界の平成30年7月号の付録「四段昇段の記セレクション」に収録されていますのでそちらをご覧ください。現在はAmazonKindleで読むことができます。

 

 

 

作品に戻りまして、今回の詩の分類は口語自由詩。技法は特に用いてはいません。

※参考文献はこちら

 

 

ではここからは、より将棋を楽しめるための解説です。今回は、プロ棋士編入試験を合格して四段プロ棋士になった方々をご紹介します。編入試験を経て四段になった現役棋士は4名です。

 

瀬川晶司(せがわ・しょうじ)六段…現行の棋士編入試験の制度を作るきっかけになった棋士とされています。奨励会を退会後、大学に進学され、サラリーマン生活をしながらアマチュア選手として実績を積み重ねます。すると準アマ王将の実績から参加資格を得た第9期銀河戦で大活躍。本戦トーナメントでプロ棋士相手に7連勝を記録し、アマチュアながら決勝トーナメント進出を果たしました。銀河戦では第12期でも本戦トーナメントで活躍し決勝トーナメントへ、決勝トーナメントでは1回戦で当時A級八段だった久保利明九段に勝利。翌第13期も本戦トーナメントで6連勝とアマチュアながら銀河戦で大活躍。

そしてついに2005年にプロ編入の嘆願書を日本将棋連盟に提出。連盟より編入試験の実施が認められ、花村元司九段以来61年ぶりとなる編入試験が実現することになりました。当時の規定では連盟推薦で試験官に選ばれた6名を相手に3勝すれば合格。1局目の相手は、当時奨励会三段だった佐藤天彦九段で結果は負け。その後神吉宏光七段(当時六段)に勝ち、久保九段(当時八段)に負け、中井広恵女流六段に勝ち2勝2敗。第5局目の髙野秀行六段(当時五段)に勝って見事合格。晴れて四段編入を果たしました。

この奨励会を退会してから再びプロ棋士になるまでの道のりは話題を呼び、自伝「泣き虫しょったんの奇跡」は大ヒット。映画化もされました。

 

2009年に3年半在籍したフリークラスを昇級規定で卒業し、順位戦の資格を獲得。現在は竜王戦は6組、順位戦はC級2組で1勝7敗の成績です。そのほかには王位リーグ入りの実績もあります。

この編入試験は、瀬川六段のアマ時代の実績を考慮されての「特例」として認められたものでした。実際に棋士編入試験が制度化されたのは、瀬川六段が合格を果たして四段棋士デビューを決めてから9年後の2014年になります。

 

 

今泉健司(いまいずみ・けんじ)五段…1994年に奨励会三段リーグに参加も、1999年に年齢制限で退会。その後、調理師をしながらアマチュア選手として復帰。復帰後はアマ竜王戦で準優勝などの実績を重ねます。そして2007年に創設された三段編入試験に合格し再び三段リーグの戦いに身を投じます。なお、三段編入試験のルールについては下記リンクからご参照ください。

 

 

しかし、2度目の奨励会でも四段に昇段することはできずに退会。地元の広島県福山市で介護士として働きます。その傍らでアマチュア選手として復帰後、アマ大会で実績を重ねて、アマチュア枠で公式戦の竜王戦や朝日杯に参加し大活躍。2014年にプロ編入試験の資格を獲得し、制度化されてから初めての編入試験が実施されました。

編入試験の合格条件はプロ棋士5名を相手に3勝。試験官を担当するのは棋士番号が若い順に新四段5名です。1局目は宮本広志五段(当時四段)に勝利。次局の星野良生五段(当時四段)にも勝って、四段編入に王手をかけました。3局目の三枚堂達也七段(当時四段)には敗れるも、第4局の石井健太郎六段(当時四段)に勝って見事編入試験に合格。編入試験が制度化されてから初めての合格者で、当時41歳でのプロ入りは戦後の新四段の最高齢記録として話題を集めました。

プロ入り後、2016年に順位戦の参加資格を獲得。注目を浴びたのは2018年度の第68回NHK杯でした。予選を勝ち抜き本戦初出場の今泉五段(当時四段)。本戦1回戦の相手はなんと藤井聡太竜王名人(当時七段)でした。下馬評は藤井聡太竜王名人有利と見られた中、放送された対局では大熱戦の末に今泉五段の勝ち。41歳で四段編入した苦労人が、当時15歳のニュースターに勝利したことは大きな反響を呼び、のちにNHKの番組「逆転人生」でも取り上げられました。今泉五段は、この年度のNHK杯でベスト16まで進出。3回戦で久保利明九段に敗れはしたものの、オールドルーキーの全力で戦う姿勢は多くの将棋ファンの感動を呼びました。

2020年に勝ち数規定で五段昇段。現在は竜王戦は6組、順位戦はC級2組で3勝5敗の成績です。奨励会員時代の2007年度に第35回の将棋大賞で升田幸三賞を受賞。2手目☖3二飛戦法を開発したことが評価されての受賞で、奨励会員の受賞は初めてのことでした。棋風は振り飛車党で中飛車を得意としており、著書も中飛車に関する本が多いです。

 

 

 

折田翔吾(おりた・しょうご)五段…2011年より三段リーグに参加。2016年に年齢制限により退会。退会から1か月後の2016年4月より、Youtubeにて将棋実況動画を投稿したことがYoutubeチャンネル「アゲアゲ将棋実況」の始まりでした。その年の11月にインターネットで将棋教室「アゲアゲ☆将棋教室」を開講。2017年にアマ王将戦で準優勝したことで銀河戦の出場資格を獲得します。

その銀河戦では、第27期に本戦トーナメントにてプロ棋士相手に6連勝して瀬川六段以来のアマチュア選手の決勝トーナメント進出。決勝トーナメントでは当時の名人であった佐藤天彦九段と対局しました(結果は佐藤天彦九段の勝ち)。この大活躍もあって、プロ棋士編入試験の資格を獲得。2019年11月から試験が実施されました。なお、編入試験の受験料はクラウドファンディングで募り、目標の90万円近い金額を大きく超える500万円以上の資金を集めました。

1局目は黒田堯之五段(当時四段)に勝利。2局目は出口若武六段(当時四段)に敗れるも、続く山本博志五段(当時四段)に勝ち、プロ編入まであと1勝。4局目の本田奎六段(当時五段)に勝って、見事編入試験に合格。見事四段プロデビューを果たしました。特に4局目の本田六段戦は、相手の本田六段が当時棋王のタイトル挑戦の真っ最中という心身ともに充実している状況下での対局ということもあって、その価値は大きいと言えます。

プロ入り後は竜王戦で存在感を発揮。第34期では6組優勝を果たし決勝トーナメントに進出。翌35期でも昇級者決定戦を勝ち抜き4組昇級を決め、2年連続昇級の規定で五段昇段を果たしました。現在は竜王戦は4組、順位戦は昨年に参加資格である「良い所取りで、30局以上の勝率が6割5分以上であること」の規定を満たして、来期からのC級2組参加が決定しています。

アゲアゲ将棋実況の動画の内容はのちに書籍化。これは旧ブログ時代にも紹介しましたが、ページ内のQRコードを読み取ると、動画に進むという仕組みです。詳しくは下記リンク記事をご参照ください。

 

 

 

小山怜央(こやま・れお)四段…これまでご紹介したお三方は、いずれも奨励会の経験を経てプロ棋士編入を果たしましたが、小山怜央四段の場合は奨励会を経験しないでプロ棋士編入を果たした異色の経歴です。アマ時代から実績を積み重ねてきた小山怜央四段でしたが、奨励会受験は不合格。その後もアマチュア選手として活躍し、アマ名人戦で優勝して三段編入試験を受験もまたも不合格。2度も棋士になる前の段階でチャンスを逸する形になりました。

その後もアマ王将、赤旗名人、支部名人、アマ竜王などアマチュアとしての実績を着実に積み重ねた小山怜央四段は、2021年に一大決心を下します。なんと、これまで勤めていた会社を「将棋に集中したい」と理由で退職。オンラインでの将棋講座の講師を務めながらアマチュアが参加できる棋戦に出場します。そのころは竜王戦の6組ランキング戦で大活躍。第34期はベスト4まで勝ち進みました。翌2022年に朝日杯でも一次予選で勝ち続け、プロ棋士編入試験の資格を獲得。

2022年の11月から始まった編入試験は、1局目から徳田拳士四段、岡部怜央四段を撃破し、編入まであと1勝。3局目の狩山幹生四段には敗れましたが、4局目の横山友紀四段に勝利し編入試験合格。戦後初の奨励会を経ないでプロ棋士の誕生でした。

現在は竜王戦は6組、順位戦はフリークラスでまずは順位戦の参加資格の獲得を目指すことになります。岩手県出身の棋士としても初めてで、昨年岩手県宮古市で行われた第8期叡王戦第4局では現地の大盤解説会の解説者として地元に凱旋し、故郷に錦を飾りました。そして1月から始まったABEMA地域対抗戦では、チーム北海道東北の出場登録棋士に選ばれ、1/27(土)に放送されたチーム中国・四国戦に1番手として登場。チーム唯一の勝ち星2勝を挙げ、監督の屋敷伸之九段から「エース」と期待される一幕も。ここから一気にブレイクのきっかけをつかむか注目です。

なお、この小山怜央四段のプロ棋士になるまでの道のりは、昨年11月に書籍化されました。当ブログでも来週の2/18(日)にご紹介できればと思います。

 

 

以上、棋士編入試験に合格してプロ棋士になった現役棋士4名をご紹介しました。奨励会を去った方の多くは将棋にけじめをつけて新しい道を進んでいかれると聞きますが、中にはあきらめきれなくて将棋にこだわる方もいます。生き方は人それぞれとは言いますが、一度夢破れた人間が将棋界に再チャレンジする制度ができたことは大きいと言えます。もちろん、プロ棋士になったことはゴールだけではなく、これからのスタートラインであるという事実も忘れてはなりません。今後の編入試験からプロ棋士になった方々のご活躍を祈念しながら解説を終わりたいと思います。ご意見やご感想、リクエストなどもお待ちしています。

 

 

 

近況:5年経って…

2/4(日)、棋王戦第1局が私の地元である富山県東部、魚津市の新川文化ホールで行われました。藤井聡太棋王に伊藤匠七段が挑むという注目のシリーズの初戦は、なんと持将棋という幕切れ。藤井棋王得意の角換わり腰掛け銀に伊藤匠七段が用意した「持将棋定跡」は、SNSのトレンドに入り大きな反響を呼びました。

当日の大盤解説会は、地元富山出身の村田顕弘六段、服部慎一郎六段、野原未蘭女流初段も凱旋帰郷。その盛況ぶりは、翌日の地元紙の北日本新聞朝刊に大きく取り上げられました。しかし、富山在住でありながら私は今回の大盤解説会には行きませんでした

 

前回5年前の棋王戦魚津対局では大盤解説会と指導対局に参加し、指導対局で村田顕弘六段に敗れたのは旧ブログ時代にも書きました。

※詳しくはこちらの記事をご参照ください。

 

ここまでの事実に触れた方は、

「せっかく地元に藤井棋王がやってくるのに見に行かないのはもったいない」

と思われることでしょう。実際、母親からも

「いかないときっと後悔する」

等と言われました。それでもなぜか足を運ぶ気持ちにはなれなかったのです。

 

今回の大盤解説会に足を運ばなかった大きな理由は、5年前との違いにあります。5年前の私は、派遣社員を辞めて病気療養中のいわば自由の身。なので極端なことを言えば、人様に迷惑をかけなければどう動いても自由というわけで、実際に生で見る棋士の対局姿に感銘を受けたのも事実でした。当時はまだ、コロナもなかったことも大きく、自分自身の行動に制限をかけようとすることはありませんでした。

しかし、5年経過した現在ではその状況は一変。私は介護施設で働く一員となり、世間が「5類移行」になった今でもコロナに感染しないように気を付ける毎日。特に冬になると感染症が流行する時期なので、気づいたら自分の行動に大きく制約をかけているという状況です。もし感染したら、単に自分が働けないだけでなく、職場にも迷惑をかけてしまいます。さらに言えば、父親も同じ福祉業界で働いているので父にも迷惑をかけることはできない。というわけで自分の行動も慎重になってしまったというわけです。

 

自分の立場が変わってしまったことも大きいですが、昨今の藤井フィーバーも私の行動に大きく影響しました。5年前と言えば、藤井棋王はまだ七段でタイトル挑戦には絡んでいない状況。5年前の対局は渡辺明棋王と広瀬章人竜王(どちらも肩書は当時)で開催。当時の藤井聡太七段はフィーバーではありましたが、現在のような勢いはそこまでなかった気がします。

一方で今回は、藤井棋王は八冠達成で行く先々でフィーバーを巻き起こす時の人。中には追っかけをされる方もいて、他県からやってきた方もいたと地元紙に報じられました。現在は5類移行で、行動制限もなくなったので追っかけをされる方自体を責めることはありません。

当日はABEMAの中継を視聴していましたが、大盤解説会は超満員という声を聞き、正直に言って私は行かなくてよかったのかもしれないと思います。もちろん、会場でも万全の対策はされていたと思いますが、もし参加して万が一の事態になったらと思うと怖くて行けなかった。悪く言えば臆病になったと言われるかもしれません。指導対局は諦めて、大盤解説会だけでもとは考えましたが、リスクを考えすぎて行くのをためらっていたという自分がいたのです。

 

私は今も考えるのです。もしかしたら、自分の時計はコロナが始まった時から止まったままなのではないかと。考えたきっかけは昨年9月に行われた、大学時代の将棋サークルのOBによるリモート飲み会でのこと。私はことあるごとに、社団戦に出ないかと言われましたがコロナを理由に参加を見送ってきました。その時に、当時の同期に言われたのが

「コロナにかかるときはかかるから、恐れていても仕方ない」

というもの。確かに、私は恐れているのかもしれません。ここまで恐れているのは理由があります。それは実際に職場でコロナ対応を経験したことです

まだコロナが2類相当に指定されていたころ、私の職場の当時の部署でもコロナ禍に見舞われました。あの時の苦しさを二度と味わいたくない。そう思いながら業務に励んできました。しかし、昨年末に現在の部署でもコロナ禍に見舞われました。また、苦しみを味わい、さらに元日の能登半島地震が追い打ちをかけるようになり大変な思いをしました。

 

それゆえか、一過性のフィーバーでミーハーな行動をとることは控えようという意識が働き、イベントの参加に慎重になっています。今はどうか不明なのですが、2類相当時代は組織の規約では、職員が県外に往来する場合は事前に部署に申告しないといけないという規定がありました。コロナの流行がひどいころは、地元から富山市内に行くことも特別な用事がない限りは禁止されていた時期もありました。

その「後遺症」かは分かりませんが、今も自分の行動に制約をかけています。それでは結婚もできないと家族に言われる始末ですが…。思えば私が介護業界に足を踏み入れた時期は、ちょうどコロナ爆発の最初の時期でもありました。答えの見えない世界をどう生きるか模索の時期で、私も不安に駆られてやらかしたこともあります。5類移行後は、県内ながら遠出をしたこともありましたが、安心して県外に移動できる日が待ち遠しいと思うこともあります。介護業界に生きる身として、この苦しみも自分で乗り越えなくてはいけない。そう感じながら、仕事に向かう毎日です。

 

それでも将棋に対する思いは変わらないのが救いかもしれません。こうして、ブログが書けているわけですから。ただ最近はウォーズに熱中しすぎてブログの執筆がおろそかになっている面は否めませんが…。いずれにせよ、介護業界で働きながら将棋に励む環境は今後も続きます。かつて介護士をされていた今泉五段のように将棋は強くはありませんが…。

 

 

 

さて、長々と話してきましたが今日はここまでとさせていただきます。本日も長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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