2025/08/11
ぐらりと時空が歪む。ああ、私は眠るんだ。これが寝るという感覚か。二度ほどヘドバンしたかと思うと一時間経つ。お盆が近付くと思い出すのが、命を捨てようとした日のこと。ギリギリのところで救ってくれた学生さん。息子が5歳の年だったから、19年。あの頃から自力では眠れなくなっていた。今でも電気を消して目を瞑ると暗闇のはずが、太陽を眺めているように光る。眩しくて眠れなくて、網膜を隠す。うつ伏せで顔面をタオルに埋める。誘導瞑想と処方薬が欠かせない。朝、力尽きて熟睡するのが好きだ。姪っこが言った。なんで生きているのだろう、幸せだなって、と。私が小学1年生のときにはもう、死ぬってどういうことだろうか、とても怖い、と思っていた。明日が来たら死んでしまう気がして両親に隠れて夜中までずっと起きていた。自室を与えてもらってからはほぼ寝なかった。テスト勉強、と言いながら星の数を数え続けるような毎日。気付くと朝で、また生きていて。感謝したりはしなかった。なんで生きてしまったのだろうと思った。息を止めてみたり、水に潜ってみたりした。苦しくて涙が出た。死ぬということは難しかった。でも、生きるということも難しかった。わからなかった。私はごく幼い頃からこうで、他の人が死に対してここまで恐怖を抱くわけではない、と知らなかった。息子に聞いてみたことがある。死にたくならないの?思春期でも、彼は首を横に振った。不思議そうな顔をしていた。現在、私は生きることも好き。悪くないかな、って思っている。これが個展のIkiruなのだけれど、たぶん、生きなければ死んでいる。生きようとして生きなければ、生きていられないのだと思う。無意識で生きることができないし、たった今に意味を持たせたい。バカみたいかもしれない。くだらないかもしれない。私の中心に生きることがある。先日、練りに練ったアイディアの最高傑作が完成した。だが、落款印が炎のように上昇した。最初、これはこれでいい、と思ったものの納得いくはずがない。数日置いて、部屋には新たに書く紙も出していたけれどまとめて全部ビリビリに破った。過去に戻る必要はない。キープ、と言って残したものに執着していたらその上はないのだ。全く違う展開を考えることにした。お気に入りの落款印にも執着はいらない。手放す。アイディア自体を手放す。両親とジムに行くのが楽しい。私の中で母はいつも怒っている人だった。作品を見せると必ず否定された。なにそれ。親戚や友達が私を誉めると、母は謙遜した、と言うと聞こえはいいがそんなことない、全然何もできない、などと下げて、私はダメな人間なのだと言った。私が壊れてしまった19年前から母はだんだんと私に寄り添う人になった。ボロボロ泣きながらカウンセラーさんに相談したことがあり、人は変えられないから自分が変わらないとと言われて、たった一回で行かなくなった。自分の何がいけないのかわからなかった。母が変わってくれればいいのだ、と何年もカウンセラーさんを憎んだし恨んだ。私は私の在り方を模索した。書道を始めて、打ち込むものができて少しずつ死に対する気持ちも変化した。明日死んでしまったらどうしよう、から明日死んでも後悔しない今日を送る、に。母の内側に入ろうとした。そのうちに見え方が変わっていった。自分は変えていない。ただ、人と対話するとき、相手の内側を感じて、後悔しない形を取る。それを繰り返していたら、私が私のしたいこと、言いたいこと、感じたままに動くだけで世界中の人が優しくなっていた。母は理想の母になっていた。どんどん母が好きになった。常に母と一緒にいたい、と思った。ジムに一緒に通うと言ってくれたとき飛び上がるほど嬉しかった。父も通うことになって、より嬉しかった。だから、ともに生きる、の落款を作った。私と母を金澤翔子ちゃんとお母様に見立てて。ずっと、ずっと一緒。私があるのも、母のおかげ。母がいてくれるから私でいられる。でも、作品に出来ないってことはまだどこかで腹落ちしていない部分があるのかもしれない。たいてい、思い付いたアイディアは一発で決まるか、次の日持ち越して決まる。母について、これは本当に何年もやっていて今年もまた、まとまらないまま、手放す。来年に託す。実は、未来があると信じられるようになったそれも私にとって奇跡、成長。明日が来る、とは思えるようになっていたけれど、来年はあまり実感がなかった。今出来なくても、いつかできるかな、まだ人生長いんだから、と思えているのだ。雨予報が続く。弟家族が帰ってきて、すごく賑やかになった。私は一人、早足で蝉時雨を浴びる。家が見えるところでザッと降られた。鍵を差し込み、ウーロン茶を流し込む。休む。そう決めた。全てを手放して、頭を解放して、見える景色が変わったら筆を持ってみよう。私がギュッと抱えているものは天に投げて落ちてきたときがタイミングなのだと思う。