衝撃すぎた天才漫画家のファースト短編集!!高野文子先生の絶対安全剃刀 | きたがわ翔のブログ

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今の若い方々に高野文子先生の名前を挙げてもいまいちピンとこないかもしれません。

 

2003年に第7回手塚治虫文化賞マンガ大賞を”黄色い本ジャック・チボーというなのゆうじん)という作品で受賞された方、と言えば、ああ、そんな人もいたかな、くらいに思うかもしれません。

 

とにかく寡作!!まあそれはいいとしても、これほど私たちマニアの間で神と崇められる存在にもかかわらず、愛蔵版、文庫本等が一冊たりとも出版されない!!聞くところによるとこれは大友克洋氏と二人して初出のコミックス以外は出さないとお決めになっているとか.....(ちょ....ちょっと何で!?全然意味わかんねえって!!)

 

世の中がバブル経済に陥る少し前の80年代初頭はやたらサブカルの熱い時代でありました。高度経済成長期が終焉を迎え、人々の心にも余裕が出てきたのでしょう。音楽でもマンガでも、従来のものにはない新しいものに当時エッジの効いた感性を持つ若者たちがこぞって飛びついたわけであります。新しさを求めるあまり、変わってるだとか狂ってるだとかそういう言葉が褒め言葉になっていたあの時代、私は青春ど真ん中でした!.....アイタタタ!!

 

そんな中彗星の如く現れた高野先生。彼女の出現がどれほど衝撃的であったかは30年前の空気を知らない人たちに説明するのはかな〜り難しいですが.....ひとことで言ってしまえば作品の完成度がもう....圧倒的に高かった!!そう、ものすご-----く高かったのです!!

 

当時からどこかレトロな装丁。

 

 

 

まずは絵について。80年代にめちゃくちゃ流行ったこのジーンズの描き方覚えておられる方いらっしゃいますか?

 

こちらはおおの藻梨以先生の心は孤独なマルレーネより

 

 

ストップ!ひばりくんやバナナフィッシュ(ふふ、実は当時の私も....)など、この横線をラフにはみ出させてデニムの粗い感じを出す描き方、これ、江口寿史先生が最初だと思っている方が案外多いのではと思うのですが、私の記憶だと高野先生が最初であります。

 

 

高野先生のあぜみちロードにセクシーねえちゃんより。

 

 

それから高野さん独特の二重のラインを目の上にスッと引かず、眉間近くだけににちょこんと描く手法は、初期の吉田秋生先生、桜沢エリカ先生、岡崎京子先生などもみなさん影響を受けていましたね。

 

このようにとにかく高野文子は新しかったんだよ!!と当時の作品群について意見される友人がおります。確かにそれも分かるんですけどね、”新しい”というと私的には少しだけ語弊があるような気がします。初期の高野先生はそれこそ毎度毎度絵のタッチを変えており、(やまだ紫風、大友克洋風、さべあのま風など)絵柄について様々な実験を用いるという点において先人の岡田史子先生(名前も似てる)の影響を感じるところが多々ある気がするからです。

 

しかし岡田先生の読み手側に一切立とうとしないやや未完成なエッセンスのみの作品スタイルと比べると、高野先生の方は一見難解そうに見えて実はそれほど難解ではなく、絵も超絶画力の持ち主なのにそれを(わかりやすく)ひけらかすことはしません。つまり一見マイナーであっても非常にバランスがとれている。この何とも心地よいバランス感覚こそが私の言う高野先生の圧倒的完成度の高さだったりするのです。

 

 

例えば表題作の絶対安全剃刀。

 

一見チャラ目の学生服を着た男子が”世の中の面白くなさ”を理由に軽く自殺しょうと考えます。白い死装束を身にまといノリノリでリハーサルを試みていると、転んで胸元に仕込んであった剃刀で胸を切ってしまいます。鏡に自分を映して白い布に広がる赤い血を確認していると一緒にいた眼鏡の友達がこう言います。

 

そうだよ だれだってちっとばかし傷ついてるふうに見えるやつのほうがかっこいい

 

ふきだしの中の文字が鏡文字になる、という表現も衝撃的でした。

 

 

おすわりあそべという小品。

 

電車の中、同乗者の老人、厚化粧した女、一見貧乏そうな人たちに対しきらいだと頭の中でつぶやく主人公。

 

 

うそつきが好きよ。つよいつよいうそつきが好きよ。しかめっつら あんた威嚇して

 

 

なおも電車に揺られながら彼女はこうつぶやきます。

 

自慢になるほど若くはないよ

歴然と女だし

お金ない

でもわたしは強いうそつきになりたいんだ

 

構図の取り方のうまさに注目。

 

 

このようにこの頃の高野先生の主な作品テーマは本音です。人の心中にある見栄や欺瞞などをちょっぴり皮肉を込めた軽妙なタッチで読ませるこの力量たるや、同業者としてはただただため息をつくしかありません。

 

 

そして....当時から私がなんとなく高野作品について感じていたことがあります。

それはこの作品集が出る少し前、少女漫画界に巻き起こっていた乙女チックマンガブームを高野先生はかなり冷めた目で見ていたのではないか?ということです。

実際いこいの宿という短編の中に乙女チックマンガをパロッたページがあるのですが、私が見る限りパロディというより軽めの悪意のようなものすら感じられたりもして....

 

 

もともと萩尾望都先生に憧れて漫画家を目指したという高野先生。当時若くて尖っていた高野先生からすると乙女チックマンガはどこかうそっぱち、女の子の本音などこれっぽっちも描いてないだろ的な作品に映っていたのではないでしょうか?

そう考えると高野先生は岡崎京子が後々広げてゆくリアル女子マンガの最も先駆的な作家なのかもしれません。ただ、高野作品には岡崎作品に特徴的なエロスの部分の追求はまったくありませんでしたが。

 

そしてこの短編集の中で私が最も大好きな ふとん

 

死んだ女の子を小さく俯瞰で描いたカットからはじまる斬新なイントロ。少女が気がつくと(この時点で少女はあちらの世界にいます)そこに現れる観音。その観音の流麗な立ち姿、ふわりとした線の美しさったら30年経った今でも初めて見た時の衝撃がよみがえります。

 

ああもうただただ美しい.....

 

 

 

作中女の子がご飯を食べていて箸を引っこ抜くとみんなこぼれて食べにくい、というシーンがあります。私はよく夢の中で電話をかけようとするとうまく番号がうてなかったりご飯を食べようとするとうまく口に入らないといった現象が起こるのですが、ここを読んでいて軽い戦慄を覚えました。このように高野先生の作品にはただのリアルとはまた違う、五感に訴えかけるリアルさのようなものすらあるのです。

 

 

 

私はその昔、ぱふというマンガ専門誌で、トーンの魔術師(うう、はずかしい)なんて書かれたことがありましたが、当時私が影響を受けていたのはバラしてしまうと高野先生のトーンワークでした。

 

例えばうしろあたまという短編のこのコマ。雨の中傘をさしている女の子を俯瞰から見た地面、このうつりこみをダブルトーンで施した表現が当時少女マンガにおいてどれだけ斬新であったことか!

 

 

絵のうまい漫画家さんはそれこそ山ほどおりますが、天才的に絵のうまい漫画家を3人あげろと言われたら、私は迷うことなくその中の一人に高野先生を入れますね。

 

 

 

 

最後に、ここに収録されている高野先生初期の伝説的傑作と言われる 田辺のつる

 

私が考える、国民的マンガさくらももこ先生のちびまるこ子ちゃんと田辺のつるの類似性?説について。(おいおい!!)

 

ちびまる子ちゃんの連載が始まった時、画面をひとめ見るなり私はおやおや?と思ったのです。

 

 

ちなみに私の考えはこうです。

 

さくらももこ先生の同期におーなり由子先生というこれまた天才的にセンスのいいちょっぴりサブカル臭のする漫画家(現在絵本作家)がおりました。さくら先生が彼女の大ファン&お友達だったのは有名なお話。

おそらく彼女からサブカルなセンスを色々吸収し、高野先生のマンガも教わったのではないか?

そしてさくら先生がちびまる子ちゃんを描き始めた時、高野先生の田辺のつるが頭にあったのではないか?

 

田辺のつるより、つるさん。実は82歳のおばあちゃんなのですが、このマンガでは

きいちのぬりえのような童女の姿で描かれています。

 

こ....この立ち姿にちびまる子を感じるのは私だけでしょうか!?

 

 

 

 

すみません。あ....相変わらずクソオタにありがちな推測をしてしまい申しわけありません.....

 

 

何が言いたいのかと言いますと、高野文子先生は諸星大二郎先生同様ミュージシャンズミュージシャン、同業者が憧れ影響を受ける数少ない漫画家さんのお一人だということです!!