【Day54 Camino de Santiago】2025.10.27 新たな痛み | ちびタンクのひとりごと

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【Day54 2025.10.27 ザモラ→ モンタマルタ  20km】


10月26日

昨日は暖かい夜だった。

教会に併設されたアルベルゲには、前日と同じロシアのご夫婦とポルトガルのジュゼ、私に、アルメリアから歩いてきたドイツのカーリーンが加わった。

夕食はオスピタレロも一緒にみんなでいただくスタイルで、オスピタレロを除き英語ネイティブもスペイン語ネイティブいない。

片言の英語とスペイン語で、これはドイツ語だとなんていうんだ、とか、ロシア語だとこうだ、とか、その発音に“絶対ムリ〜!“とか。

部屋は寒くてもみんなで大笑いして、温かいスープと美味しいワインで心温まる夜だった。


10月27日

ドネーションだというのに朝7時に温かいコーヒーと温めたパンを用意していただいたので、みんなで朝食を取り、ほぼ同じ時刻に宿を出た。

ロシアのご夫妻とポルトガルのジュゼは30km先の町まで行くと言う。

イタリアのべぺから、ザモラの30km先のアルベルゲが素晴らしいと連絡をもらっていたので、できれば私もそこまで歩きたかった。

しかしそもそも昨日、想定外に歩いてしまったので、今日は無理をしない方がいいだろう。

私は20km先の町に目標を定めることにした。

ドイツのカーリーンも20kmでやめておくと言う。

宿は同じくらいに出たものの、徐々にそれぞれのペースになっていった。


今日も清々しい晴天だった。

昨日と同じように気持ちよく歩けると思っていたが、それはすぐに打ち消された。

今度は左足の甲が痛み出したのだ。

それは数日前から少し痛いな、くらいに感じていたのだが、昨日、宿で靴を脱ぐと明らかに腫れていて、今朝の歩きからははっきりとした痛みに変わっていた。


またか。


一体、私の身体はどうしたと言うんだ?


ため息しかでない。


天気も景色も素晴らしいのに、気持ちは晴れなかった。


10kmを超えると左足を踏み込む度に痛みが響く。

考え事すら打ち消されてしまう。

気を紛らすため、音楽をかけてひたすら歌った。


相変わらずただただまっすぐの道をひたすら進む。

小さな石段を見つけ休憩をすると、音楽はエドシーランのthe A teamが流れた。

なんだってこんな時にこんな物悲しい曲を聞かなきゃいけないんだ。

気分を上げるはずが、余計に複雑な気持ちになってしまった。


右膝の痛みもまだある中、左足甲の痛みに耐えながらも午後にはアルベルゲに着いた。

町はずれの宿は大きな敷地に大きな庭を有していて、物干しの紐が張られた木の下にはテーブルとベンチが置かれていた。


先に着いたカーリーンがベンチから手を振って迎えてくれる。


洗濯機も電子レンジもコンロもあって、暖房も入ってる。完璧よ。


ドイツ人にしては癖のある英語でそう言った。

カーリーンはヨーロッパ人らしく好き嫌いがはっきりしていて、それでいて物憂げで人を寄せ付けない独特の雰囲気を持つおばさんだ。


オスピタレロも常時いないタイプのアルベルゲで、宿には私たち二人だけだった。


私はスーパーに買い物に行って、シャワーを浴びて、洗濯をして、昼食を作って、そのあとは晴れた日にやりたかった靴の手入れをして。

そんなことをしている間、カーリーンは庭でまったりお茶を飲んだり、本を読んだり、タバコを吸ったり。

時々話をして、あとはお互い自由に過ごす。


彼女の距離感、存在に救われた。


今日みたいな日に、こんな大きなアルベルゲに一人でいたら、寂しくて気が狂ってしまいそうだ。


今日は胸がキュッとするような、得体のしれない苦しい思いが襲ってくることが、複数回あった。

それが足の痛みからくる不安からなのか、サンティアゴが近づいているからなのか、仲間と楽しい歩きといった雰囲気ではないからか。

季節のせいか、あるいはサラマンカまでのサイモンに追いつくという目標のようなものが無くなったからなのか、正体がよくわからない。

しかし以前にも感じたことのある、切なさが胸をキュッと締め上げるような感覚だった。


身体を温めようと買った安物のワインは、なぜかダダ甘いデザートワインだった。

レンジで温めてホットワインにするとちょうどよい。

日が暮れたので庭を引き上げて、ワインを温めようとキッチンに入ると、窓から左を向いた三日月が見えた。

あの新月から、月はもう、こんなに姿を変えていたのか。


胸が締め付けられるようなその感覚は、これから事あるごとに襲ってくるだろう。

私はその正体を掴んで、抱きしめることができるだろうか。