【Day53Camino de Santiago】2025.10.26 家族 | ちびタンクのひとりごと

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Day53 2025.10.26 エル・クーボ・デ・ティエラ・デル・ビノ→ザモラ 32km】


朝5:45

同室のポルトガルのジュゼが起きるのと共に目を覚ました。

彼は今日、32km先のザモラまで行くので、7時前に出発するという。

ザモラは大きな町と聞いている。

ここのところ雨が多く、観光用の使い捨てポンチョでは不安を覚えていたので、できればスポーツ用のポンチョを購入したい。

今日は日曜で店も閉まっているし、そもそも30km以上歩いた日は何もできない。

昨日、私はザモラまで二日間かけて行くことに決めたので、のんびりと支度に取り掛かった。

間の町は14kmほど先だ。

9時過ぎに出ても良いくらいだろう。


ジュゼの出発を見送ると、私はダイニングで朝食をとりながら、昨日さぼったブログのアップと動画の編集に取り掛かった。

ブログはすでに書いてあったので最終チェックして投稿するだけである。

動画は編集から始める必要があったが、時間は十分にある。


すると、出発しようとしたロシアのご夫妻が声を掛けてくれた。

“シー、今日どこまで行くの?”

“ザモラの間の町だよ”

“そのアルベルゲは今日、やっていないよ。

問い合わせたら3日間、お休みを取っているって”


そうだった!

同じ話を一昨日、ナタリアから聞いていたのに、すっかり忘れていた!


私は大慌てで支度を済ませてアルベルゲを飛び出した。

なんてこった。

30km越えするなら、あと1時間は早く出発したのに。


今朝は昨日とは打って変わって晴天だった。

不幸中の幸いである。

美しい朝日を拝みながら歩くのは久しぶりだ。

広大な景色に牧場やぶどう畑。

少し肌寒いものの、歩いていると程よい気候で、気持ちのよい歩きである。


これなら30kmもなんとかなるか。


旅において、私はざっと見積もることはするが、細かく計画を立てるタイプではない。

なのでこうした予定変更も想定内のうちと言えばそうなのだが、カミーノでは特にコントロールが効かない気がする。

いつ、どこにいるかというのは私の意思ではないのではないか。

あの日、マラガから出発して私はマルセルに会った。

そしてアルフセンに滞在してサイモンに会った。

彼らに会うことは決まっていたかのようだ。


サイモンではないが、私たちは本当に大きな家族のような気がした。

私たちは繋がっていて、ここで会おうと決めていて、そして、“ああ、そうだったね。私たちは家族だったね”って思い出して、お互いの幸せを心から願う。

私はそんな家族が欲しかったんだ。

それはマルセルやベゴやサイモンだけじゃない。

オランダ君やアムステルダムのノウドさん、ウクライナのアンナ、ぺぺやフェルナンドやジュペ、ヒルケやリアやソフィア、これまで出会ってきたみんなが家族なんだ。

それは今までにない、新しい感覚だった。


私はおもむろに夫にメッセージを入れた。

”私は前よりもうちょっと強くて良い女になって日本に帰ると思います!待っててね“

すると

”期待しているよ“

と返ってきた。


20kmを過ぎるとやはり足が痛む。

それでも進まなければ仕方がない。

しかし本当に気持ちのよいお天気で、誰しもに笑顔で挨拶したくなるような気分だった。

それは相手も同じようで、誰しもが笑顔で挨拶してくれた。

そう、巡礼者だけではない。

私たちは全ての人と繋がっていて、みんな家族のようなものなのだ。


なぜ歩くのか、昨日問うたことが浮かんできた。

私には歩く才能があるからだ。

人は、与えられた才能を全て使わなければならない。

安心の中にいるためや、恐れからその才能を無駄にしていると、一生、その才能が訴え掛けてくる。

それを無視しつづけるのは、生きていないのと同じだ。


歩いていると、生きていると感じる。

初めて海外を一人で旅したとき、”生きている“と言う感覚を得た。

そして歩き旅に出会った。

多少の慣れはあるものの、それはいつまでも色褪せない。

毎年、少しづつ変化しながらも四季を楽しむように、毎回異なる歩きを味わいながら、この命を全うしている。


川の向こうに美しいカテドラルが構える町、ザモラに着いた。

季節に天気に場所に人、この瞬間を構成する要素に何一つ同じものはない。

だからいつまででも旅を続けてしまうのだろう。