【Day22 カンパナリオ→ ラ・アバ 19km】
町はずれのアルベルゲは、公共の体育館に併設された変わった造りをしていた。
ドアを開けてすぐが高い天井のワンルームになっていて、2段ベット3台、テーブル、冷蔵庫と電子レンジ、洗濯機。扉を挟んで洗面、トイレ、シャワーが並んでいる。
全てが簡素で無機質な造りは、一見、刑務所を彷彿とさせたが、実際のところは思いの外、居心地が良かった。
高い位置に取り付けられた南向きの窓から遅くまで日が差し込む。
コンクリートの壁からは熱が逃げにくいのか、部屋は一晩中暖かった。
マットレスはへたっていたが掛け布団だけは新しく、珍しく気持ち良い目覚めの朝を迎えた。
携帯を確認すると姉から連絡が入っていた。
“スペイン、いいなー。楽しんで。
一昨日実家帰ったけど、二人とも元気だったよ。“
あっさりした返答に拍子抜けする。
大切な存在だからこそ、構えてしまっただけだったのかもしれない。
誰もいないアルベルゲで音楽をかけながら支度をする。
普段は好んで音楽を聞くタイプではないのだが、旅、特に歩き旅に出ると聞きたくなるから不思議だ。
携帯にダウンロードしてあるプレイリストを再生すると甲本ヒロトの「天国うまれ」がかかった。
6時55分、宿をでる。
大きな通りに面するアルベルゲは出たところにベンチが置かれていた。
オランダ君がいたら、きっとそこでタバコをふかしていただろうなと想像する。
しかし、想起するだけでもう寂しいという感情は湧いてこない。
日の出を迎える8時半くらいまでは相変わらず真っ暗である。
町を出るとすぐに何もない畑の間を歩く。
今日も空一面に星が輝いていた。
その美しさにいちいち驚かされる。
もう何度目だろうか、写真を撮ろうとするがうまく納められない。
懲りないなあ、と思う。
この感動を忘れたくないのだ。
でもきっと、すぐに忘れてしまう。
私はそれを知っている。
今日も日が登る。
畑なのか丘なのか、一人で平原の中の道をただただ歩く。
どうせ誰もいない。
イヤホンもつけずに私はもう一度、「天国うまれ」を再生した。
この曲は10年前、カミーノ・フランセス(フランス人の道)を歩いたときに出会った、日本人の男子から紹介してもらったものだ。
”俺の今回の旅のテーマソング、これだわ“
そう言って、彼は自分のipodからこの曲を聞かせてくれた。
彼と出会ったのはクリスチャンと別れた2、3日後。
お互い英語もろくにできなかった私たちは長く一緒に歩いた。
7、8歳、年下の彼は既婚者の私を”めんどくさくなくていい“と言い、私も呑んだくれに付き合ってくれる彼がありがたかった。
途中、他の日本人が加わわったり、私たち自身が別れることもあったが、それでも一番長く一緒に歩き、ゴールを共にした。
私たちは歩きながらいろんな話をしたし、歩き終わるとよく呑んだ。
他の欧米人を真似て一緒に自炊してみたり、寝転んで空を眺めたり。
時には私が意味不明に泣くのを見守ってもらったり、いろんなことに飽きるとゲームをしたりした。
音楽を聴くのもその一つだった。
カミーノを終えても旅を続ける私に、帰国する彼はそのまま自分のipodを持たせてくれた。
彼の音楽好きな友だちが、旅をテーマにした曲を集めてくれたものだという。
初めてのカミーノを終えてから私は幾度となく号泣した。
感情をどう処理してよいかわからなかった。
こんな思いをするくらいなら、やらなければよかったとさえ思った。
それでもその思いは時間と共に少しづつ昇華し、やがて思い出としてのみ存在するようになった。
大きなものから、小さなものまで、感情はそこに費やした時間や思いの深さによって、昇華する時間が違うのだろう。
昇華したからと言って無くなった訳ではない。
その感情をそのままに取り出すことはできないが、それは私を構成する一部となり、今も生き続けている。
そう、思えるようになった。
そして今、私はこの歌を歌いながら、二度目のカミーノを歩いている。
ーーー
天国うまれ 甲本ヒロト
幻は とっとと 消えて無くなれ
夢なら このまま ずーっと覚めるな
ドンキホーテ サンチョパンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと 遠く 天国うまれ
叶わない恋もある あきらめてしまえ
叶わない夢はない あきらめるな
ドンキホーテ サンチョパンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと 遠く 天国うまれ
チンタッタ 三拍子で ぶらりぶらり行こう
待たせておきな 明日なんか
ドンキホーテ サンチョパンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと遠く 天国うまれ
へんな名前をつけて 呼び合ってみよう
笑えて泣ける へんな名前
ドンキホーテ サンチョパンサ ロシナンテ & 俺
ふるさと遠く 天国うまれ
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そんな今日の旅の様子はこちら↓