結局、私はドーバーに3泊した。
曇天の冬のドーバーは決して美しいとは言えず、一日もあれば見所を抑えられてしまうような小さな街だった。
そんな街で与えられた、なんの予定もない時間。
ビジネスホテルだと言うのにwifiも有料で、外界からシャットアウトされた時間だった。
「あれはなんだろう?」と気になった方向にただ進んでみたり。
寒い寒いと震えつつ、海辺で打ち寄せる波を見つめてみたり。
急に思いついて、読みたくなった本を探してみたり。
静かで、穏やかで、贅沢な時間だった。
おじさんばかりが集う、ビールとタバコの匂いが染み込んだ、ちょっとすえた匂いのする、けれども暖かそうなバー。
そこでビールを飲みながら、なんとはなしに周囲を見渡す。
楽しそうに乾杯をする家族。
テレビモニターに映るサッカー放映に一喜一憂するグループ。
少し気恥ずかしげに、目と目で語り合うカップル。
そんな誰かの日常をぼうっと眺めていると、不思議と心が満たされていくのを感じた。
忘れていた。
ただ、その場を感じるということを。
ただ、その時を愛おしむということを。
何かが起こる必要も、誰かと出会う必要もない。
ただ「ある」と言うことを、愛おしく感じるということを。
やたら曇天のドーバーの海辺が、私にそんな事を思い出させてくれた。
何者でなくてよい。
何者でもないことの心地よさ。
それはこれまでに感じたことのない、満たされた感覚だった。
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↓前回のお話