Con te Partiro ーvia Francigenaへの招待状ーvol.50 | ちびタンクのひとりごと

ちびタンクのひとりごと

大好きな旅のこと、心理学・スピリチュアル・ヨーガのこと、日々の気づきなどをつぶやいています♪


ドーバーまでの道のりで私は3回、きぬママを感じるタイミングがあった。


一回目はカンタベリーの街を出て比較的すぐで、薮に覆われた細い鬱蒼とした道だった。

“こんな道を歩くんだろうか?”

一瞬、足を向けるのが躊躇われた。


入り口には“pilgrim way”と書かれていて、巡礼路はこちらだと言わんばかりだった。

日が入らない暗くて細いその道は、なぜか産道を彷彿とさせた。

20m、30mくらいだろうか?

突然、道は開けて普通の舗装路に出た。

左右どちらに進むのかと地図を確認すると、道を間違えたことに気づく。

“なんだ。やっぱりこの道じゃなかったんだ“

その小道を戻ろうとしたとき、きぬママが、

“じゃあね、私はこっちに行くわね”

そう言ったような気がした。




二回目は、街と街の間の開けた広大な原っぱだった。


目の前を遮るものは何もない。

ただひたすら前進するのみだった。


かなり強い風と雨に、私はレインコートのフードを深く被り、視界を最低限に絞った。


歩いていると突然、左側からフード越しに強い光を感じた。


“え?”


思わず顔を左に向け、その光の出元を確かめる。

しかし、その光を確認することはできなかった。


気のせいかと前を向いて歩くことに集中する。


するとまた左側から強い光を感じた。


“また?”


今度は足を止め、もう一度顔を向けて確認するが、やはりそれがなんだったのかはわからなかった。


“きぬママ?”



その時、きぬママが光に包まれてどこかに登っていくような気がした。



最後はその丘を越えて人気のない教会に入った時である。

雨の日は、なかなか休めるところがない。

教会は、うってつけの休憩場所だった。

しかし、たいていの教会は開いている時間が決まっていて、タイミングは合わないと中には入ることはできない。


その教会は珍しく開けっぱなしのようで、扉は開いたものの、中は真っ暗だった。

暗い聖堂に入ると、その先の正面にステンドグラスがぼうっと湧き上がった。

そこに描かれていたのは、白い猫を抱いたイエス様だった。


きぬママは猫が大好きで、“昔、ビヤンカという真っ白な猫を飼っていたのよ”とよく聞かされた。

私にはイエス様に抱かれたその猫が、きぬママのように感じられた。


“きぬママ?

イエス様のところに行ったの?”




しかしそれはよく見ると、猫ではなく羊だった。


ーーー


↓前回のお話