ドーバーまでの道のりで私は3回、きぬママを感じるタイミングがあった。
一回目はカンタベリーの街を出て比較的すぐで、薮に覆われた細い鬱蒼とした道だった。
“こんな道を歩くんだろうか?”
一瞬、足を向けるのが躊躇われた。
入り口には“pilgrim way”と書かれていて、巡礼路はこちらだと言わんばかりだった。
日が入らない暗くて細いその道は、なぜか産道を彷彿とさせた。
20m、30mくらいだろうか?
突然、道は開けて普通の舗装路に出た。
左右どちらに進むのかと地図を確認すると、道を間違えたことに気づく。
“なんだ。やっぱりこの道じゃなかったんだ“
その小道を戻ろうとしたとき、きぬママが、
“じゃあね、私はこっちに行くわね”
そう言ったような気がした。
二回目は、街と街の間の開けた広大な原っぱだった。
目の前を遮るものは何もない。
ただひたすら前進するのみだった。
かなり強い風と雨に、私はレインコートのフードを深く被り、視界を最低限に絞った。
歩いていると突然、左側からフード越しに強い光を感じた。
“え?”
思わず顔を左に向け、その光の出元を確かめる。
しかし、その光を確認することはできなかった。
気のせいかと前を向いて歩くことに集中する。
するとまた左側から強い光を感じた。
“また?”
今度は足を止め、もう一度顔を向けて確認するが、やはりそれがなんだったのかはわからなかった。
“きぬママ?”
その時、きぬママが光に包まれてどこかに登っていくような気がした。
最後はその丘を越えて人気のない教会に入った時である。
雨の日は、なかなか休めるところがない。
教会は、うってつけの休憩場所だった。
しかし、たいていの教会は開いている時間が決まっていて、タイミングは合わないと中には入ることはできない。
その教会は珍しく開けっぱなしのようで、扉は開いたものの、中は真っ暗だった。
暗い聖堂に入ると、その先の正面にステンドグラスがぼうっと湧き上がった。
そこに描かれていたのは、白い猫を抱いたイエス様だった。
きぬママは猫が大好きで、“昔、ビヤンカという真っ白な猫を飼っていたのよ”とよく聞かされた。
私にはイエス様に抱かれたその猫が、きぬママのように感じられた。
“きぬママ?
イエス様のところに行ったの?”
しかしそれはよく見ると、猫ではなく羊だった。
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↓前回のお話