なおさんと合流すると、次はA教会のミサに参加した。
しかし結果から言うと、そこで聖餐をいただくことはできなかった。
その教会では、信者でないと聖餐をいただくことはできないという決まりであった。
私たちは事情を説明し、どうにか頂けないかと牧師さんに嘆願してみた。
荒唐無稽な話だとは理解していたが、恥ずかしがっている場合ではない。
しかしキリスト教では死者はイエスの元に帰るという考え方であり、聖餐は生きている人のためのものである、従って死者に聖餐を与えることはできない、とのことだった。
これには先行きも不安になったが、とはいえ牧師さんはじめ教会の皆さんは、そんな私たちを暖かく迎えいれてくれた。
特に私に対しては、あらゆることに驚かれた。
初めて参加するミサにバックパックを背負って来たこと。
友人の死、そしてその友人の古い祈祷書でこの教会に辿りついたこと。
そしてこれからカンタベリーへ行くこと。
とかく今からカンタベリーに向かうということには、驚きとともに羨望の声も聞かれた。
聖公会に属する人であれば、一度はその地に足を踏み入れたいのだということがよくわかった。
そんな地をこんな何も知らない人間が、クリスマスという一大イベントに訪れることを申し訳なく思ったが、皆さんは好意的に話を聞いてくれた。
中にはカンタベリーに行かれたことがある方もいらして、現地の情報なども教えてもらうことができた。
こうして二つ目のミッションを完了させると、次は移転後の墓地に向かった。
新しい墓地には何度か来たことがあったため、一つ目や二つ目のミッションのように混乱や緊張を伴うものではなかった。
共同墓石の前に立ち、移転前の墓地、そしてA教会に行ってきたこと、更にこれからカンタベリーに向かうことを報告した。
手を合わせたあと、なおさんがアカペラでアメージンググレースを歌ってくれた。
私はその音声をスマートフォンに録音した。
“今回のことはきぬママからのプレゼントだね。”
そう言うなおさんに、
“はい、私もそう思います。”
そう答えた。
ーー
↓前回のお話