電話を切るやいなや私は、きぬママから私的に充てられたメール、心理学の仲間のメーリングリスト宛のメール、きぬママが開設した複数のブログなど、きぬママが残した膨大な情報の中からキリスト教に関するキーワードを拾った。
するとお別れの会をやった母協会とは、別の教会の名前が出てきた。
調べてみると、それらはいずれもプロテスタントの教会だった。
そう言えば、私がお骨を頂いたのも神父さんではなく牧師さんだった。
カソリックは神父さんと呼び、プロテスタントは牧師さんと呼ぶそうだ。
そんなことすら知らなかった私に、この謎が解けるのだろうか?
そしてきぬママとご縁のあった場所。
イタリアのアッシジ、ヴェローナ、ローマに訪問した記録が見つかった。
イギリスのフィンドホーンにも行ったと聞いていた。
あるいはかつて滞在していたウィーンやスイスだろうか。
そう言えば、黒いマリアさまの像の話を聞いたことがある。あれはスペインだっただろうか。
オーロラを観てみたいとも言っていたっけ。
日本では、平和活動を踏まえて広島でコンサートを行ったことがあると話していた。
それに金子みすゞの詩が大好きで、ゆかりの地を訪れたこともあったそうだ。
ただ、私に頼むくらいだから、他の人がすぐには行けないようなところ、ちょうど冬休みを取ったタイミングだし、やはり海外だろうか?
場所やキーワードは浮かんできたものの、どれもこれと言った決定打には至らなかった。
日が変わると調べ物は一旦中断して、颯花さんに状況を報告した。
颯花さんからは、
”きぬママさん、しずちゃんのところに行かれたよ“
と返信が来た。
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↓前回のお話