その会が実際に開かれたのは2019年12月15日だった。
恵比寿にあるコーヒーショップの2階。
栗色のアンティーク調の家具と調度品が施された雰囲気の良い一室を貸し切り、暖かい飲み物をいただきながら、ゆったりとした時間を過ごした。
参加者は操さんなどきぬママの関係者と、私の友人、数人だった。
会はなおさんの、きぬママとの思い出の語りで始まった。
そしてきぬママがいつも歌っていたアメージンググレース、大好きだった金子みすゞの詩にあてた曲に続き、素人ばかりで舞台に立った思い出の曲、“翼をください”を皆で合唱すると、最後はなおさんが大好きなさだまさしの曲で締められた。
皆がそれぞれの記憶に想いを寄せる、暖かく優しい会だった。
会が始まるとき、テーブルの上に置かれた一冊の本に目についた。
それは私の友人、水器さんが置いた祈祷書だった。
”その本、きぬママのですね!“
私は思わず呟いた。
クリスチャンの巡礼路、カミーノ・デ・コンポステーラを歩いた私にきぬママは、”帰ってきたら、父の聖書をあげるわね“とメールで約束していた。
しかし帰国後、お互いその話はすっかり忘れていて、約束が生前に果たされることはなかった。
お別れの会のあと、きぬママ宅で本棚を眺めていた時、そのことがふと思いだされた。
聖書と祈祷書の違いもわからなかったが、とりあえずその手のものを貰っておこうと、目に止まった祈祷書を持ち帰ったのだった。
水器さんは心理学の仲間ではなかったが、きぬママのコンサートに来てくれたことがあった。そして何より、彼女は洗礼こそしていなかったが、キリスト教に深く傾倒していた。
意味もわからない私が持っているよりは良いだろうと、形見分けの意を込めて、その祈祷書は彼女に贈ったのだった。
”うん。きぬママの会だからね“
水器さんが答えた。
臙脂色の祈祷書が、この先の私の行く末に大きな影響を及ぼすことなど、その時の私は考えてもみなかった。
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↓前回のお話