イタリア アッシジの旅からの帰国で始まった2019年は、私にとって試練の年だった。
4月に上司が変わった。
これがとんでもない上司で、仕事の負担が一気に増し、日々、そのことに悩まされるようになった。
人はそういう時に大きなミスを犯すのもで、その年の秋、私は個人情報流出に関わるとんでもないミスをしでかした。
幸い、関係者が限られていたことと、同僚が総出で対応に当たってくれたことから大事には至らなかった。
事件は収束したが、その後も生きた心地がしない日々は長く続いた。
一方、プライベートではきぬママと心理学研究コース同期であった、なおさんとお話しする機会が増えた。
なおさんは地元でコーラスをやっていて、きぬママの声楽の生徒さんでもあった。
控えめながら、やさしく、どんなことでも包み込でくれるなおさん。
きぬママはなおさんのことを“チーママ”と呼んでいて、大好きだったお母さんを投影するかのように、きぬママはmなおさんに甘えていた。
なおさんは、きぬママを看取った私を”よく頑張ったわね“と讃えてくれて、一緒にお墓参りに行ったり、きぬママの晩年の様子を共有したりした。
そうしているうちに私たちはお互いの人生を語り合う仲になり、二人してカフェで号泣してしまったこともある。
そんななおさんと、何かやろうという話になったのはその年の夏だった。
最初は、なおさんが自身の経験を綴った本の朗読会をしようと話していた。
しかし、テーマはやはりきぬママだろうという結論に達すると、それは歌の会に変わった。
私が簡単なチラシを作り、場所を借り、なおさんがプログラムを考えた。
曲目はもちろん、きぬママが歌っていた歌が中心だった。
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↓前回のお話