2017年4月14日
妖精さんから電話がかかってきたのは午前中だった。
きぬママが亡くなったという連絡だった。
朝、ヘルパーさんが来たときには、すでに息を引き取っていたという。
東大病院へ献体の手続きが取られているため、すぐに来ない限り遺体を拝むことはできないとのこと。
4月、私は非常勤から常勤の仕事に切り替わり、その日はどうしても外せない会議が入っていた。
昨日がお別れの時だったんだ。
瞬時に納得して、すぐには伺えないことを告げた。
2017年4月23日
きぬママのお別れの会が母協会で取り行われた。
教会関係の方、音楽関係の方、ご近所の方、そして私たち心理学の仲間が集った。
青空の元、きぬママの大好きな讃美歌が響き渡る美しい式だった。
きぬママは、自分が死んだら家にあるものはなんでも皆でもらって欲しいと話していた。それで式の終了後、妖精さんが私たちをきぬママ宅に招いてくれた。
元気だった頃、きぬママはすでに相当な量の断捨離をしていたが、それでも本や楽譜や食器などがまだまだたくさん残っていた。
私は数冊の本とマリア様の像の写真が飾られた写真立てを頂いた。
その写真立てには私がきぬママに宛てた、マリアさまの小さなメダイが挟み込まれていたからだった。
きぬママが亡くなったことを関係者へ連絡し、心理学関係者のお別れの会出席を取りまとめ、来れなかった仲間へきぬママの遺品を選んで贈った。
それで私のきぬママへのお勤めは終わった。
そう、思っていた。
お別れの会を終えて迎えたゴールデンウィークは、有給休暇を少し足して、私はまたインドに飛んだ。
ゴーモクというガンジス川の源流に二回目のチャレンジした。
それはご褒美のように楽しく、美しい旅だった。
2017年はそうして過ぎてゆき、2018年の年末には、前述したアッシジへの旅へと導かれる。
そして2019年、きぬママのいない二度目の年明けを迎えた。
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↑インドのガンジス川の源流 ゴウモクへの道
↑標高4000m超 この先がゴウモク
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↓前回のお話