新しい病院でもきぬママの帰りたい病は治らず、結局、3月1日に退院した。
前回と同様、日に3回のヘルパーさんが入った。
自宅に戻るやいなや、きぬママはまた神霊療法なるものを取り入れたいと言いだし、私がその取り次ぎ役をした。
効果の程が期待できないのはわかっていたが、少しでも気休めになればという思いだった。
しかしそれは結局、気休めにさえならないとわかったのは、2回目の神霊療法の後だった。
3月末、妖精さんから、きぬママの膵臓癌と肝臓癌が発覚したと連絡がきた。
すぐに手続きが進み、4月4日には再入院した。
年始から始まった連日に渡る関係者との連絡・調整、仕事後・休日の訪問に疲れていないはずがなかった。
それに追い討ちをかけるような癌の通達に、私の無力感はピークに達した。
それは多分、私だけではなかっただろう。
その時ふと、佐治晴夫先生の著作「ぼくたちは今日も宇宙を旅している」が目に止まった。
それはきぬママから頂いた本だった。
物理学者の佐治晴夫先生はきぬママの知り合いで、なんとピアノできぬママと共演されていた。
いつも“とっても素敵な先生なの”とお話を伺っていた方だ。
本を開くと「亡くなっていく人の前では、決して悲しんではいけません。ただただたくさんの感謝の言葉を伝えなさい」という言葉が飛び込んできた。
意識はなくとも、聴覚は最後まで残るのだという。
はっとさせられた。
それまで私はきぬママのために会いに行っていると思っていた。
きぬママのためにしていると思っていた。
だがそれは間違っていた。
私自身のためなのだ。
私が、感謝を伝えるためだったのだ。
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↓前回のお話