2017年
きぬママの病状は腰の圧迫骨折だった。
病院で“帰りたい”のオンパレードを繰り広げたきぬママは、1月6日には退院した。
その間にお手伝いの妖精さん、ピアニストの礼二郎さん、ケアマネージャーさんが尽力して一階にベットを運び込み、日に3回ヘルパーさんが入るよう調整された。
私はと言えば関係者へ状況を報告し、きぬママのパソコンを使って予定の変更の依頼したり、その返信の対応に追われた。
自由にならない身体への苛立ちは隠せないものの、きぬママの持ち前の勝ち気な性格は変わらなかった。
必ずまた自身の力で立って歌うことを信じていた。あるいは信じようとしていたのかもしれない。
しかし、その歳で患った腰の骨折が、簡単に治ることはないと言うことは、口にせずともみんなわかっていた。
すぐに訪問看護が始まるものの、自宅での治療・ケアには限界があるということで、関係者全員が説得に励み、1月16日に再度入院した。
きぬママ支援団には妖精さん、礼二郎さん、私の他に、きぬママと家族ぐるみの付き合いをしていた操さん、放送大学のお知り合いである鈴木さんが加わった。
元々、月・水・金で来ていた妖精さんは変わらずそのペースできぬママ宅と病院を往復し、その合間を縫って、私たちも入れ替わり立ち替わりきぬママを見舞った。
きぬママは、私以外の心理学の仲間がお見舞いに来ることを拒んだ。
「みんなは若くて忙しいんだから。こんな状況の私にわざわざ会いに来る必要ない。元気になったらまた会えるんだから。」
それはきぬママなりの気遣いと、弱っている姿を見せたくない気持ちと、両方だったのではないかと思う。
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↓前回までのお話