私の転職活動は順調に進み、4月から週4日の非常勤の仕事に就いた。
未だ体調が全快とは言えないきぬママは、健康を取り戻そうとありとあらゆるものを取り入れてた。
それは神霊療法なるものにも及んだ。
きぬママとは長い付き合いの先生からの紹介で、先生自身もその療法で癌を克服したのだという。
何やら怪しいことこの上なかったが、“私、そういう奇跡ってあると思うの”というきぬママに、他人が反対してもどうにかなるものではない。私たちは静かに見守った。
8月にはその療法を体験するため、きぬママはタイへと旅立った。
出発の準備を手伝い、帰国時には羽田空港からの帰路に同行したが、数日後には“あれはインチキね”と言い出す始末だった。
その年の秋、私はきぬママに、オーロラを観に行かないかと誘った。
一生に一度で良いから、オーロラを観てみたい、というのは私たちの共通の夢だった。
それは、神秘的なことやファンタジーが大好きな、きぬママらしい夢だった。
今は元気にしているけれど、きぬママに残された時間は確実に減っている。
行こうと思った時には、もう遅いかもしれない。
タイに行けたのであれば、行けるだろう。
タイミングは、今しかない。
そんなふうに考えたのだ。
もちろんいつもの私の、行き当たりばったりの旅という訳には行かない。
日程、予算、スケジュールに無理のないツアーを探しあて、上司に年末の休暇を申し出た。勤めて一年にも満たない職場であったが、上司は快く承諾してくれた。
突然の申し出にきぬママは少し困惑した様子だったが、すぐに意を決して提案に乗ってくれた。
だが、その発言はすぐに撤回される。
病院で血圧が高いことから、ドクターストップがかかったというのだ。
しかしなんとなく、本当は行きたくなかったんじゃないかと思う。
本当にやりたいことであれば、周りに何を言われようと、結果がどうであろうと、必ずやる人である。
理由ははっきりとはわからない。
極寒の地に行くのは、やはり身体のことが不安だったのかもしれない。
あるいはオーロラなど、天国にいけばいくらでも観られると心のどこかで知っていたのかもしれない。
‘じゃあ、良くなったら必ず行きましょうね!“
そう約束して、私は空いてしまった年末の休暇に一人でインドに行くことにした。
クリスマス前に出発して、元旦に帰ってくるスケジュールだった。
妖精さんも復活し、きぬママにとって2016年は終活に勤しんだ年だった。後継者のいない江川家のお墓を母教会の共同墓地へ墓じまいし、収入源となっていた隣のアパートを、今後の資金にと売却した。
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こうして2016年の年末も暮れていった。
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↓前回のお話し