2017年1月1日
「すずちゃん
(※きぬママは私のことを“すずちゃん”と読んでいた。)
明けましておめでとうございます。
今日、教会に行く途中、ファミリーマート の前で、ひどく転び、背中を打ってしまいました。
幸い福祉の人が3日には来ますので、心配しないでね。
6日には真由美ちゃんが来ますし大丈夫です。
でも、とっても、いた―ーい!
何か意味があるのですから、素直にお受けしています。
きぬママ」
それはインドから帰国した旨、私がきぬママに宛てたメールへの返信であった。
その二日後、私はこのメールを見て即座に動かなかったことを、心から悔やむことになる。
2017年1月3日
主人の実家に顔を出そうと準備している時、携帯電話が鳴った。
普段はメールでやり取りをするきぬママからだった。
「すずちゃん、私、連れて行かれちゃう。」
慌てて電話に出ると、きぬママの声が聞こえた。
それはこれまでに聞いたことのない、怯えた、そして切羽詰まった声だった。
「何があったんですか!?大丈夫ですか!?」
「それがわからないの。とにかく、連れて行かれちゃう。」
すぐに電話は別の人に代わった。
「江川さんのご家族ですか?」
「友人です。なにがあったんですか?」
「救急の者です。家の中で動けなくなっていると通報がありました。これから病院に向かいます。ご友人とのことですが、お越しになることはできますか?」
「もちろん行きます!どこの病院ですか?」
「これから受け入れ先を探すので、お待ちください。決まったらご連絡しますので、あなたのお名前と連絡先を教えてもらえますか?」
状況を確認して、必要事項を伝えると電話を切った。
3日に来ると言っていた福祉の人がきぬママの様子に驚いて、通報したのだった。
電話の受け答えにただ事じゃない様子を察した旦那は、電話を切るやいなや、「すぐに行ってやれ」と言ってくれた。
救急からの折り返しを待つ間、私はお手伝いの妖精さんにメールで状況を報告した。
妖精さんこと真由美さんは本当に誠実な方で、滅多に休みを取らなかったが、年末年始だけはご主人と家族を優先していた。
それを良くわかっていたから、きぬママも私に連絡してきのだ。
救急からの折り返しはすぐに入った。
私は言われた葛飾の病院へと飛び出した。
それからの三ヶ月は怒涛のように過ぎていった。
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↓前回のお話