Con te Partiro ーvia Francigenaへの招待状ーvol.19 | ちびタンクのひとりごと

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大好きな旅のこと、心理学・スピリチュアル・ヨーガのこと、日々の気づきなどをつぶやいています♪




きぬママは80代とは思えないほどアグレッシブな人だった。


生計は、声楽家として自宅で指導する何人かの生徒さんからの謝金と、自宅の隣に立つ小さな三階建てアパートの家賃収入であった。

アパートには防音室を完備し、音楽家に格安で貸し出した。


“何かを成し遂げたい”という夢だけを見ていたお金も経験もない私たちとは違い、同じテンションながらも実際に身を削ったのはきぬママだけだったかもしれない。

貴重な収入源であるアパートの1階をレインボーサロンと名付け、私たち心理学の仲間に開放した。


そこはキッチンを含む8畳ほどのワンルームに防音室1室を備えた小さなワンフロアで、そこで心理学の勉強会をやったり、ミニコンサートをやったり、きぬママのママ飯会が開かれたりした。


ある日はきぬママ主催で、ある臨床心理士さんを講師に招いた勉強会が開かれた。

私も参加したのだが、参加者10人にも満たないその席に、現 公明党党首の奥様(マジで!)と地元の共産党議員が同席した。

今思うとなかなかスリリングな顔触れであるが、恐るべききぬママの人脈の為せる技である。


またある時はそこで、きぬママとまゆさん(きぬママの心理学研究コースの同期)と私の3人で、放送大学の心理学の試験の勉強をした。

本気で臨床心理士を目指そうとした私たちは、放送大学大学院へ進もうと、一緒に大学に入学したのだった。

(私は早々に離脱💦、きぬママは途中から好みの講座しか受講しなくなり、目標であった大学院を卒業したのはまゆさんのみ。まゆさんは我々の憧れであり、誇りでもある👏)


勉強の合間にはガールズトークで盛り上がった。


私とまゆさんが恋バナで盛り上がっていると、御年80を超えるきぬママも口火を切る。


「私が手紙を送った元彼8人のうち5人は…」


何を語りだすのかと一瞬、緊張が走る。




「死んだわ」




私とまゆさんは顔を見合わせて、大爆笑!



そんな言葉、きぬママにしか出てこないでしょ!



私にとっては、楽しい思い出がいっぱい詰まった空間だった。


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