きぬママこと江川きぬさんは、1930年1月、東京都葛飾区に生まれる。
明治生まれの父母はともに再婚で、父の連れ児である13歳年上の姉と、母の連れ児である5歳年上の兄との三人兄姉妹だった。
義兄姉妹とはいえ父母は分け隔てなく子どもたちを育て、兄姉も末っ子のきぬママを可愛がってくれたという。
幼い頃から身体が弱く10歳までは生きられないと言われていたきぬママだが、周囲の手厚い看護により生きながらえる。
一方で彼女が7歳の時に姉が統合失調症に罹り、13歳の時に兄が急性骨髄性白血病で急死。そしてきぬママが18歳の時に姉もこの世を去った。
7歳の時に日中戦争、11歳の時に太平洋戦争が始まり、15歳で終戦を迎える。
毎年、3月10日の東京大空襲と8月15日の終戦の日には、忘れ難いその日の思い出と平和への強い思いがメールに綴られた。
終戦後は女子聖学院高校を卒業し、東洋音楽学校(現在に東京音楽大学)に在籍。
黒柳徹子さんが一つ上の先輩だそうだ。
その後は文学座の研究生、東京二期会の研究生などを通して音楽活動に興じる。
1960年、30歳で日本音楽コンクールに入選。
1963年、33歳で私費留学生の許可がおり、オーストリア ウィーンの音楽アカデミー(現ウィーン音楽大学)に留学。
1ドル365円だった当時、ロシアの荒野を5日間かけて列車で横断したそうだ。
38歳、欧州滞在中に父が逝去。急ぎ帰国するも葬儀には間に合わず。
ウィーンやスイスでオペラ歌手として計10年を過ごしたのち、1973年43歳の時に帰国した。
1977年、母が脳梗塞を患い自宅での介護が始まる。逝去を看取ったのは1981年、享年87歳、きぬママ51歳の時であった。
父の死後は土地を切り崩しながら音楽活動を続ける。生業は声楽家として舞台に立つ傍ら、自宅で声楽の生徒をとり個人指導をした。それは亡くなる直前まで続く。
1999年には大好きな金子みすゞの詩に寄せて、CD「みんなちがって、みんないい」を制作。
恩師は11年上の佐々木成子先生で、80歳を過ぎても指導を仰いでいた。
大地主の家系で育った父は敬虔なクリスチャンで、地元の教会建設に尽力する。
自身もクリスチャンとして育てられたきぬママに、生まれながらにして縛りつけられた十字架はまた、彼女を生涯、救うものでもあった。
2010年、80歳にして思い出の地ウィーン訪問とイタリア アッシジ・ローマへの巡礼の旅を遂げる。そしてその直後に、私たちが出会う心理学の講座に導かれるのだった。
クリスチャンとして生まれ、第二次世界大戦の戦火をくぐり抜け、女ながらにウィーンに留学。
独身を貫き、生涯学ぶことを諦めず、亡くなる前年まで舞台に立った。
昭和と平成を力強く生き抜いた彼女の心の内を、私たちが量ることは到底不可能であろう。
そんな彼女の人生の終盤に、私の人生が交錯する。
私はそのことに心から感謝している。
ーーー
↓前回のお話