実際にその居酒屋で誕生会を開いたのは、その年の夏だったと記憶している。
「ここはうるさくてダメ。私はね、声楽家だから音にうるさいのよ。今度はうちの近くで集まりましょう。」
新宿東口の繁華街にある中層階のビルの一室だった。
アーリーさんの受け売りどおり、店員さんはハッピバースデーの歌を元気に歌い、大いに盛り上がったが、きぬママの反応は上述の通りだった。
誕生会の日程調整は難航した。私たちはみんな、それなりに責任ある仕事に就きながらカウンセラーの勉強を始めたばかりだった。中には家庭を持つ方もいる。
6人の予定はそうそう合わず、決まったと思っても誰かから“その日に急な予定が入ってしまった”と連絡が入った。
正直、“こんなにみんな忙しいなら、もうやらなくても良いのでは?”と思い始めていた。
そういう時にタイミングよくきぬママからメールが入った。
「あなた本当よく投げ出さないで根気強くみんなにメールして。
大変だろうけど、この苦労は必ずあなたの役に立つからね。」
その言葉はじんわりと私の心に響いた。
ただの日程調整に、誰がこんな労いの言葉をかけてくれるだろうか。
自分自身でさえ気づいていなかった心の疲れへの処方箋のような言葉だった。
“この人には、私には見えない何かが、見えているんだろうな。”
そう思えた。
だから、誕生会での辛辣な発言も気にならなかった。
こうして誕生会の後も私ときぬママは、ゆるゆるとメールをやり取りする中になっていった。
ーーー続くーーー
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