ラッシュアワーは追い越したり、追い越されたり、
いろんな人とすれ違ったりもする。
急いでいるから、ペースが合わないとイライラする。
その中にはスマホでゲームをしている人、大きな荷物を持っている人、きょろきょろしている外国人、だれかれ構わずぶつかるサラリーマンに、マイペースにのらりくらり歩くサラリーマンもいる。
その中で今日は、妊婦さんと、杖をついている人に行く手を阻まれた。
”ラッシュアワーに“と思う一方で、余裕がない自分が悲しくなった。
そのときふと、この人は神様かもしれない、と思った。
自分と同じように相手には背景がある。
それを考慮できない自分に警鐘をならす、神様なのかもしれない。
神様が、自分を試しているだけなのかもしれない、と浮かんだ。
今日は一日そのことが頭に残り、仕事で思い通りにいかない人も、”この人は神様なのかもしれない“と思うことができた。
その時、かつてカエル理論というブログを書いたことを思い出した。
もちろん、自分を守るためにはカエル理論も大事である。
でも、目の前にいる相手が全て神様だと思えたら。
カエル理論の彼も、もしかしたら私に何かを教えてくれる、神様だったのかもしれない。
目に前に起こることは全て、神様からの贈り物だと思えたら。
カエル理論が神様理論に移行するという、日常の大切な一日だった。
そういえば蛙化現象って、去年の若者の流行語なんでしょ???
意味は違うが、もっとずっと前からカエル理論提唱してたこと、訴えたい!😆
