栃木盲との深いつながり | しずえばあちゃんの回想録 “We Can Do It !”

しずえばあちゃんの回想録 “We Can Do It !”

教師生活35年、子供3人。
パワフルに生き抜くしずえばあちゃんの
子育て論、教育論、人生論を綴っていきます。

人生の後半で取り組んだ漢字学習についても
情報を発信していきます。かんじクラウド株式会社 http://kanji.cloud

今週の2(日)~4(火)は、栃木県に車を飛ばして行ってきた。

初日の日曜は移動日だったから、また懐かしい人に約束を取り付けて会ってきた。

 

夜は元栃木県立盲学校の先生たちと。

栃木盲との付き合いは、退職直後の2013年から始まり、その後何年も何回も訪問した。

初めは点字導入の授業をしたり、漢字の話をしたり・・・

そのうち、盲学校の教員だけに漢字指導の話をするにも限界があり、

担当者に近隣の小学校などに声をかけてもらえませんか?とお願いした。

 

その理由は次のような経緯があったからだ。

2003~2012年の10年間で『視覚障害者の漢字学習』冊子シリーズを作り終え、

全国の盲学校に寄贈して、その冊子を使って漢字学習をしてくれる対象児が増えてきた。

盲学校は視覚障害分野の専門性はもっているが、

まさか漢字指導のノウハウをもっているなんて誰も思っていなかった。

 

盲学校職員も参加する地域の特別支援の研究会では、漢字指導の話題がよく出て、

そこで「盲学校から発信する漢字学習法」を紹介してくれていたらしい。

視覚障害者は漢字学習の一番外側に位置していると言っても過言ではない。

徐々に漢字の話題に参加するようになったことから、

盲学校の先生たちももう少し漢字学習法の研鑽を積もうという動きになって、

退職後の私に声をかけてくれるようになった。

いや、小学1、2年の冊子を発行し出した20年も前の頃から目を付けてくれて、

千葉盲や高知盲などへ行ったことがある。

結局、全国のかなりの盲学校へ行ったなあ。

そして、そこから県下の学校に声をかけて集めてくれるようになった。

かなり懐かしい話である。

 

そんな中で栃木盲にも度々行った。

そして、当時の先生たちとすっかり仲良しになった。

思い出話の中で、2015年の秋に関東地区視覚障害研究会の講師として、栃木盲に行った。

その時は抗ガン治療直後のことで、味覚障害も重なってほとんど食べられず、

体に優しいお弁当を用意してもらったが、砂を噛むようにほんの少し食べただけだった。

それよりも横にならせてもらって休憩した。

その後の授業研や会議ではしゃきっとした姿でしゃべっていたとのこと。

「道村先生、無理しないでよ~。なんで引き受けちゃったの?」と思ったと話してくれた。

私はかすかに覚えているだけだったが、当時の様子を話してもらってそうだったと思い出した。

 

その後も何度かいくうちに、栃木盲の先生たちの向上心とチームワークに感心することが多く、

核となる先生たちの存在を頼もしく思って、もう大丈夫だろうと行かなくなった。

 

ところが、2017年のLD学会が栃木で開かれることになり、

私一人で展示ブースに立つのに不安を抱えていたら、

栃木盲の先生たちが日替わりで当番を決めてくれて・・・

(あれ?このこと、どっかに書いたぞ!)

 2017年10月13日『たくさんの人の協力あってこそ!』

 

ここの写真に載っているポスターは手書きで、栃木盲の先生たちが手伝ってくれました。

写真を撮り忘れた1日目に手伝ってくれた先生に、今回は会うことができました。

 

このお二人の先生は、盲学校勤務年数が最大限に達して、

この春にやむなく別々の特別支援学校に異動した。

そこで、2ヶ月経った様子をいっぱい聞きたかった。

「不安いっぱいの障害種別の違う職場だったけど、

盲学校で培った視点は、どこへ行っても役立つと実感している。」と言っていたし、

日々の様子を話す中に、そのことが色濃く表れていた。

 

「そうなんだよねえ!

視覚障害がない私たち教師は、自分の感覚で教えようとしても絶対にうまくいかない。

自分たちが学んできた道筋や方法が通用すると思ってはいけない。

一旦それらを横に置いて、子どもたちの様子をよく観察して、そこから何かを見取り、

彼らに合った方法を探る。

これはどこへ行っても通用するやり方であり、それがなんだか染みついているよねえ。」

と大いに盛り上がった。

いい夜だった!