インフルエンザで寝込んでいた私は、静かな正月を過ごすはずだった。
しかし、元日の夕方4時過ぎに起きた"令和6年能登半島大地震”で、
テレビの全ての番組が吹っ飛び、正月気分を味わうところではなくなった。
特に、金沢在住の長男が七尾市能登島にある奥さんの実家で正月を過ごしていて、
そこで地震に遭遇。
地震直後に「大丈夫か?」「大丈夫だよ~!」と一言だけのやりとりをしたので、
生きていることが分かってホッとした。
しかし、その後は通信状況が悪くてやりとりができず、
どんなふうに過ごしているのかわからず、ひたすら連絡を待つしかなかった。
丸一日経って、昨日の午後「金沢に向かって走っている」と連絡があった。
高速道路はもちろん、一般道もずたずたに寸断されているとの報道に気が気でなかったが、
夕方には金沢に戻ってきたと連絡が来て、安心した。
徐々に明らかになる現地の被害の様子は相当なもので、
亡くなられた方も増えてきて、ライフラインも不自由となり、
寒さや雨模様などが加わり、現地で堪え忍んでいる方々のご苦労はいかばかりかと案じられる。
具体的な応援は何もできず、心からお見舞いを申し上げることしかできないのが、申し訳ない。
と、能登の被害の状況をNHKニュースで見ながら、夕食を摂ろうとした瞬間、
画面が急に羽田空港に切り替わった。
なんと火だるまになった航空機が滑走路を走り、それから延々と消火活動の様子だが、
一向に収まらない火の勢いに、乗客は???
最初はどうしてこんなことが起こったのか分からないままに映像が映し出され、
徐々に原因が報告され始めた。
地震の支援物資を届ける海上保安庁の航空機と衝突したという、
なんともいたたまれない事故となった。
一番気がかりなのは、日航機の乗客乗員の安否。
なんと、全員が無事に脱出できたのは奇跡的なものだったと。
よかった、よかった、本当に良かった!
なんという正月だろう。
年間のトップニュースに値する事故や災難が、二日間で一気に発生してしまった。
令和6年、恐ろしい年にならなければいいが。
一方、私も12/30~4日間、ひたすら寝て、
すっかり峠を越したように思われるインフルエンザだが、
起き上がって少し動くと、鼻水がたら~り、咳・痰が絡むなど、
まだ体内にインフルエンザウイルスが残っているのを感じる。
だから、もう一日、つまり、正月三が日までとことん寝正月をしようと決めました。