無投薬・無医療の闘病、再び!治癒実現に向けた勇気と覚悟の考察 | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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「病気による症状」

それは確かにコワイもの。

でもそれ以上にコワイのは、薬剤などを用いることで症状を力づくで止めてしまうこと。

"病気はコワイ、でもクスリはもっとコワイ"

このブログで一貫してお伝えしてきた事がらです。

約3か月ぶりにこの記事を綴っているのですが・・・。私はこの間またまた大きな試練に見舞われておりました。

体からの強い反応。具体的には、皮膚からの体内に長く蔓延り続ける異物の排出。

苦しくも激しい、そんな体からの症状に無投薬・無医療でひたすら耐える。

 

そんな日々を送っていたのです。

3月の初めごろから激しい悪寒が全身を襲い、騙しダマしで夜勤を続けていたものの・・・。

下旬にはもはや立っているのも困難な状態に陥ってしまいました。

体中引っ掻き回しているため、全身キズだらけ。キズ口というキズ口からは毒血や体液が溢れ出て、それが皮膚の上で乾き固まっていく。

 

特に腕足、そして首の関節が乾いた体液で突っ張った状態のまま硬直し、自由に動かすことが不可能な状態に。


それでも夜勤のシフトに穴を開けてはならない。開ければ、同僚に多大なる大迷惑をかけてしまう。

また雪が解け、これから本格的な農作業のスタートを迎えるにあたり、

「倒れてなんかいられない!」

そうした強い気持ちを胸にどうにか持ちこたえてはいたものの、誕生日を迎える頃には根性や気合ではもはやどうにもならない。

そんな厳しい事態に陥ってしまったのです。

この苦しみに耐え凌ぐことができれば、再び元気に復活できる。

そのことは過去の幾度にもわたる経験から重々分かってはいました。でも問題はその「期間」

1年になるのか、2年かかるのか。それ以上の時間を要すことになるのか。それとも数か月程度の短い間で終わるのか。

先行きが全く見えない中での無投薬・無医療での自宅療養。

"収入減が絶たれてしまう・・・"

このことを思うだけでも、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

妻がいるのはもとより、我が家は重度の認知症の義母を抱えている。自力歩行が可能だからという理由で公的な施設への入居は、後回しにされてしまっている。

妻は義母に付きっ切りにならざるを得ないため、一家の収入はどうしたって私がを担わざるを得ないのです。

その私が就労不能ともなれば、遅かれ早かれ、一家は路頭に迷わざるを得なくなる。

妻は在宅での仕事を探し始めてはいたものの、日々の介護の様子を思うだけでも"絵に描いた餅"。

正直、そう思わざるを得ない。何を仕出かすか分からない。そんな重度の認知症患者を抱えての在宅ワークなどは夢のまた夢。

私の毎月の給料から天引きされている健保組合の「傷病手当」はあるにはあれど、就労不能な状態でいつまでも会社に籍を置き続けるわけにも参らない・・・。

完全に八方塞がり、そんな状況下に私は追い込まれてしまったのです。

夜勤のシフトに穴を開けてしまう、それがどれだけ大変なことであるか。

それは実際に現場労働をしてみれば、スグにでも分かることではないかと思うのです。

ココは一旦、潔く退職しよう。迷う思いを振り払い、強い覚悟を以って所属長に連絡を入れることにしました。

「本当に辞めたいの?本心からそう思うのなら引き留めることはできないけれども、残りたい気持ちがあるのなら今はとにかく休むことが大切」

「上席に対しても私が話を通しておくから、心配しないで休養に専念してください」

このようなありがたい言葉を頂戴することができたのです。

とはいえ、そう長い期間を休養に充てることなど実際は不可能なのであろう。期限を強烈に意識しながらの4月半ばからの闘病生活のスタート。

53歳になりたての春に、私はまた無投薬・無医療での苦しい排毒、闘病生活を送らざるを得ない。

私はこのような事態に陥ってしまったのです。
※参考:過去の闘病の模様は以下から

無投薬無医療での30年の病気治療・震え続け、濡れ続けた我が闘病の全記録①
無投薬無医療での30年の病気治療Ⅱ~闘病547日・太陽の下で願ったこと①~




■秀逸な体と沈む心
闘病開始前の私の体には硬くて弾力性のあるシコリ。

これが体のそこかしこに張り巡らされているような状態でした。

経路を辿ると硬いシコリはリンパ節に集中していることが分かる。

あくまで私なりの解釈ですが、過去に使ってきたステロイド剤や免疫抑制剤といった未排出の体内に残存する薬剤。

体はあえてこれらの異物をリンパ節に集めているのではなかろうか。

私自身はこうした認識を持っていたのです。

免疫学の大家である新潟大学名誉教授の故・安保徹氏は、リンパ節には体内の各組織から体液が集められリンパ液となって入ってくる。

この際、異物や異常細胞などもリンパ節に集められ、そこで処理されるといった旨の話をされていました。

ガン細胞がリンパ節から見つかりやすい理由もリンパ節によるガン処理能力が

"素晴らしいから!"

ガンが見つかったからといって、リンパを取り除いてしまう行為は体の防御を自ら破壊してしまうといった自損行為に等しいものがある。

「敵と味方と見誤っているのが現代医療の姿です」

安保氏は『病気は自分で治す』(新潮文庫刊)の中で、このように指摘しているのです。

私が過去に使ってきた大量の薬剤。これらを無害化し体外に排出する目的で、リンパ節に硬いシコリを作らせている。

私を延命させるための秀逸な体の処理システムこそが、硬くて弾力性のあるシコリの正体。

2003年の最初の無投薬・無医療による闘病の開始。そこから20余年の時間を経て、この春ようやく硬いシコリが崩壊し始めた。

肥料も農薬も一切使わない自然栽培においても、それまでは問題なく収穫できていた。にも関わらず、10年目に全滅

このような事例も少なくないとのこと。

土が抱え込んでしまっている異物・毒物をを10年かかって、ようやく手離すことができるまでに土の力が回復してきた。

 

土の健康が蘇ってきた証であるともいえてしまう。


それは本格的な治癒に向かうための欠かせないプロセスであり、最後の試練・・・。

私の体でも同様の事態が起きている。半ば確信を持ちながら、そんなことを思っていたのです。

体温が上がり、汗が滲むと体中のシコリが暴れ始める。痒くて辛くて苦しくて、引っ搔くとそこから毒血が流れ出てくる。

流れ出た毒血やら体液が固まり、いつもの如く全身の動きは完全に封じられていく。

ただそれを繰り返すばかりの毎日。


腕も足も首も可動域が限定されていき、目も口も開きにくい状態に。かくしてまたいつもの

「寝たきり状態に」

そんな姿に逆戻りしてしまった次第です。

このことが治癒に向かうための欠かせないプロセスであることは百も承知で分かってはいるものの、いつまでこれが続くのか・・・。

そのことを思わざるを得ないのです。

私の寝室の隣の部屋では義母が高確率でトイレを粗相し、妻の怒りと悲しみ。それが合わさった声が響き渡ってくる。

さらには義理の父親が私の誕生日当日に病院で入院したまま他界。

我が家で通夜、葬儀を行う運びとなり、葬儀業者やら坊さんやらで、てんやわんやの状態になっている・・・。

いつも以上の強烈なストレスに晒され続ける中での無投薬・無医療での病気治療。

先が全く見えないまま、季節は新緑の頃へと移り変わっていったのです。

■臓器を守る!
「明日には良くなっているかもしれない・・・」

そんな淡い期待を抱いてはみるものの、その明日が実際に来てみたところで事態は一向に動かぬまま。

それどころか、悪化の一途を辿っているようにも思えてしまう。

水分を摂ってもなかなか尿が作られない。1日に2回程度しか尿が出ないこともしばしば。

以前お世話になった医師が、

「疲労した腎臓の負担を軽減する目的で異物、不要物を皮膚から排出させているのではなかろうか」

そんな風に話していたことを思い出していました。

実際、私の体から滲み出てくる体液はどことなく尿のようなニオイがする。嗅覚がそのニオイを捉える度に、治癒はまだまだ訪れない。

そんな諦めの気持ちを抱かざるを得なかったのです。

 

食欲はほとんどなくなり、絶食が数日続くことも少なくありませんでした。

 

食べるにしても、自然栽培米に天然菌の味噌汁をかけただけの汁かけご飯を1日1回食べる程度。

 

85キロあった私の体重は70キロを切るところまで減っていきました。

時間だけが残酷に経過していく中、我が家の敷地内の庭や畑の草々は勢いよく成長し続けている。

周囲の人々が朝に夕に草刈りに精を出す中、我が家ばかりは草が繁茂した状態になってしまっている・・・。

それでも私は汗をかくことを極度に恐れざるを得ない。

 

草刈りで汗が滲み、体温が上がってしまえば体中の異物毒物が皮膚を破って体外に出ようと一斉に蜂起する。

 

そんな惨たらしい事態を招いてしまうことが理由です。

恐怖に怯える中、草は縦横無尽に敷地を覆い始めていたのです。

私がダメなら私の妻が。そう期待してはみるものの、妻は義母のトイレ介助と私の世話、さらには他界したばかりの義父の葬儀、その後の死亡に伴う諸々の手続き。

この他にも、9歳になる猫のフクのお世話も重なる。

こんな具合に主に介護と看護に翻弄され続けていたのです。

特に認知症の義母の夜間のトイレ介助は本当に酷くて、多い時では5分に1回の感覚で尿意や便意を催してしまうような状況。

その度ごとに義母はベッドから起き上がり、ズボンを下ろしてそこかしこで用を足そうとしてしまう。

睡眠もそこそこに夜の間ずっと、妻は義母を監視せざるを得ないのです。

睡眠不足と蓄積疲労、さらには強烈なストレスに晒され続ける妻に対して、草刈りをして欲しい・・・。

そんなことは到底言い出せるはずもない。このことは大きな悩みのタネになっていたのです。

 

※巨大なカヤ。硬い繊維と強力な根っこで草刈りに苦戦(-_-;)


■覚悟のもとに!
それでも我が家には妻と私の2人の戦力しかないわけだから、妻がダメなら私がどうにか頑張るより他にない。

気温の上昇とともに、草はますます勢いよく繁茂し続ける一方だったのです。

汗をかけば発作のような激しくムゴイ。そんな症状に見舞われてしまうことになるのですが、それも致し方ないこと。

 

これまで幾度も似たような難局を乗り切ってきたではないか!

こうして5月初旬から私は草刈りを行う決断をしたのです。

畑で悶え苦しむ姿を周囲の人々には見せられない。このことから日の出の時間を待ち、周囲が明るくなり始める

「午前4時過ぎ」

この時間を狙って庭に畑に赴いていく。汗をかくことに怯えながらの草刈り作業。

何はともあれ、毎日これを行うことを自分に課したのです。

当然ながら、悶絶必至の激しい症状に襲われてしまうことになるのですが、それはもとより覚悟の前のこと。

それでも体からの激しい症状は体温が上昇し始めてからのしばらくの間。

 

この間が一番キツイ。時間にして20分くらいなのでしょうか。

汗が全開となり、体温が上がり切ってしまえば激しい症状は次第にかなり沈静化していく。

このことは以前の闘病においても経験済みのことでした。
※参考:

無投薬無医療での30年の病気治療・震え続け、濡れ続けた我が闘病の全記録①
無投薬無医療での30年の病気治療Ⅱ~闘病547日・太陽の下で願ったこと①~


動き始めてからしばらくの時間をどうにか耐え抜けば、その後は案外、動けるようになる。

もちろん引っ掻いたキズに汗が入り、シビれるほどの痛みが伴い悶えてしまうのですが。

こうした作業を日々継続することで、どうにか敷地内の草々を制御することができたのです。

草を制御できると心の中でさらなる「欲」が芽生え始める。今年は半ば諦めてはいたのですが、畝を作って

"タネを播きたい"

農耕者としての本能、この衝動を抑えきれなくなってしまうのです。

特に毎年タネを採り続けている身としては、タネの更新のチャンスは1年に1度だけ。

この時期のタネ播きを放棄してしまえば、これまで長年にわたって地道に採種し続けてきたトマトやキュウリ、ナスなどのタネを無に帰すといった結果を招きかねない。

その事態だけはどうにか避けなくてはならない。

こうして少しずつ畑の土を起こして畝を作る。すべて手作業で歩みは亀のようではあるものの、毎日継続していけばチリも積もれば山となっていく。

キズと毒血と体液にまみれ、半ば崩壊した顔面を周囲の人々に晒すほどの勇気は私にはない。

そこで人目につきやすい道路側の畑ではなく、奥まった箇所のの畑の土を起こし畝を作り、順次タネを播いていく。

このようにして昨年採取した全種類の野菜のタネを播くことができたのです。



※汗と涙の結晶です!

■薬剤リテラシー!
早朝からの農作業を行うことで、新鮮な朝の空気を肺に送り込むことが可能になる。

そしてこれまで約10年、進化を促し続けてきた畑の土に直接触れる。

「温かく・柔らかく・水はけがよく水持ちがよい」

無肥料・無農薬の自然栽培においては、この土の状態を実現することが農耕者にとっての目指すべき境地。

こういうことになるのですが、土の進化を目の当たりにできることはこの上ない喜びを伴うものでもあります。

そして採種したタネが芽吹くと、その喜びは筆舌に尽くしがたいものがある。

さらに夢中で作業をしていると、次第に朝日が五体を照らす時間帯が訪れる。

日光が人体にもたらす健康効果はこれまで何度も記事にしては来ましたが、悶え苦しみながらも今回の闘病も好循環をもたらすに至りました。

※参考:

自然の力と医療の力・患者を見捨てる医師と見捨てない医師との違いとは?

5月初頭には症状の酷さに絶望し将来を憂う。

そんな状態の私だったのですが、5月も下旬に差し掛かると、明らかに症状が改善し鎮静かしていくことを実感できました。

体からの症状も和らいでいき、いつしか尿のニオイもしなくなっている。実際の排尿も改善していることを実感できたのです。


6月に入るともはや汗をかいても発作に苦しむこともなくなり、日常を取り戻すことができるようになりました。

そして今週、6月17日(月)から私は念願の職場復帰を果たすことができたのです。

会社も私の事情を鑑みて、夜勤なしの日勤での勤務。こうした特例措置を施してくれました。

 

※キュウリもトマトも無事発芽し、グングン成長しています!

 

今回もどうにか、苦しい時間を乗り越えることができました。

 

約2か月間の無投薬・無医療での闘病を終え改めて思うのは、ツライ、苦しい、コワイ・・・。だからといって、そこから決して逃げてはならないこと。

 

生命の力、心の力を最大限に引き上げて、困難に対して真正面から立ち向かう。こうした勇気が必要なのだと再度痛感させられた次第です。

 

とはいえ、私のような重度の薬剤依存に陥ってしまうとその後が本当に大変です。

 

体の中に巣食い続ける薬剤はバケツをひっくり返したようには解毒できない。解毒には莫大な時間がかかることを覚悟しなくてはならない。

 

それはまさに命がけの厳しい道のりが続くことを意味している。改めてこのことを思うのです。

 

だからこそ私は強く訴えたい。若き日の私のように安易にクスリに手を染めるのではなく、クスリを使うなら使うでとにかく

 

「慎重に!」

 

絶対に使うな!とまでは申し上げませんが、どうしても使うのなら充分な警戒のもとに短期間かつ、薬効の弱いものを選ぶことが大切。

 

リスク溢れる毒物、危険物であるという認識のもとに、使うときは使う。ちょっとやそっとのことで薬剤などに手を染めてはならない。

 

現代人にはクスリとのこうした付き合い方が不可欠ではないかと強く思うのです。

 

私たちの体の中には、「食欲不振と発熱」という2人の名医が常時私たちを守り続けてくれているのだから、その力を最大限に引き上げていく。

 

そのことこそが本来の医療であり、医療の本道ではないかと思うのです。

 

そのために必要となるのは、

 

「新鮮な空気・自然でムリのない食事・太陽の光」

 

この3つが基本ではないかと思うのです。

 

昨今はマスコミ経由の煽りや宣伝に乗せられて、安易にワクチンなどを接種してしまう傾向も強いのですが、それだって立派なクスリであり人体にとっては明らかな異物です。

 

安易にクスリに手を出してしまったがために、私のように何十年にもわたって苦しみ続ける。

 

こうした方が一人でも少なくなるように。そう心に願いつつ、今後またこのブログを再開していこうと思っております。

 

私の投稿が途絶えている間、気にかけてくださる方々からたくさんのメッセージを頂戴してきました。

 

どうなっていくのか、まったく分からない状態でしたので返事をすることができずにいました。

 

この場を借りて、深く御礼を申し上げます、拝。

 

■参考文献

 

 

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