「年末からの夜勤続き」
職場の同僚がひとりまたひとりとコロナに感染。
感染が発覚すると、自動的に5日間の休暇が付与されていく。
当然、シフトに穴が開いてしまうため、誰かが代わりを務めなくてはならなくなる。
私などはその格好の代役候補となるため、夜勤続きになってしまう・・・。
生活のリズムは狂ってしまうし、寝不足による倦怠感が絶えずつきまとうことになる。
夜勤を終えて家に帰れば、重度の認知症を患う義母がトイレを失敗したとか何かで、妻の心はいつもささくれ立っている。
怒らないようにと自分の感情をどうにかコントロールしているかのような。そんな姿にも見えてくる。
"しんどいな・・・"
自ずと、そんな言葉が漏れ出てしまうのです。
お互いがお互いの領域で家族を守る。この点においては妻も私も一致しているはずなのですが、時間の経過で次第にズレが生じ始めていく。
家の中心はどうしたって問題行動の多い義母。こうならざるを得ないので、夫婦2人の会話は少なくなっていくばかり・・・。
介護も賃金労働も、怒りの感情をコントロールすることも睡眠不足も、すべてはストレスに通じていく。このままでは
"マズイな"
この間、こうした問題意識を抱え続けていたのです。
そこで今年から夫婦2人の時間を強制的に作るようにと新たな取り組みを始めてみることにしました。
それが何かといえば、
「映画」
私が休みの日で、義母が寝た後という条件付きで一緒に映画を見ることを始めてみたのです。
私は映画とはほとんど無縁で過ごしてきましたが、妻は独身時代にとにかく映画を見まくっていたそうなのです。
週末は映画館に赴き、レイトショーを見る。こうしたシングルライフを送っていたとのこと。
私はあまり人工的な作りモノに対して興味を覚えない体質なのですが、背に腹は代えられない。
没コミュニケーションに陥りつつある夫婦関係の立て直しに、名作といわれる映画。これを用いてみることにしてみたのです。
効果は抜群で、次は何を見ようとか、オモシロかったとか、あのシーンは納得がいかないとか、プリティウーマンは良かっただとか。
映画以外のことでも次第に、会話の花が咲くようになっていきました。
やはり共通の体験を積み重ねていかないと、ズレが生じ、そこにスキマ風が吹き始めてしまう。今回新たにこのことを痛感するに至りました。
"映画セラピー"とでもいうべきなのでしょうか、今後も継続して行っていこうと思っております。
■努力を放棄!
OECDこと、経済協力開発機構が2015年に発表したデータがあります。
なにかといえば、世界72か国で約54万人を対象にした調査結果で、
「学校にパソコンが多く設置されている国ほど、子供たちの読解力は低くなる」
こんな報告がされているのです。
スマホやパソコンを使えば使うほど、子供たちの学習能力は低下していく。デジタル機器を用いた学習は脳の健全な発育を阻害する。
"スマホは脳に悪い!"
調査から、このことが明らかになっているのです。
「デジタル性健忘症」なんて呼ばれたりもするのですが、これは必要な情報を覚えることができなくなる。
このことを意味したものではないようです。むしろ、必要な情報は全てスマホの中にあるわけだから、額に汗して必死に覚える必要がそもそもない。
私たちの脳はこのように判断してしまうそうなのです。
検索すれば瞬時に必要な情報を引き出すことができるのだから、わざわざ記憶しておく必要などどこにもない。
"忘れたらまた調べればイイや"
こんな感じで必死に覚え込む作業を放棄してしまう。鋭意努力を怠る、そんな結果を招きやすくしてしまうのです。
便利になればなるほど、脳に負荷を与える機会がドンドン減っていく。つまるところ、
「サボり癖」
がついてしまうのだと解説されるのです。
使わない筋肉が衰えるのと同じで、使わない脳も衰えていくことになる。
デジタル社会は脳を退化させてしまう危険性がすこぶる高いというわけです。
実際にPCやスマホで文章を書いていると、次第に漢字が分からなくなっていきます。カーナビに頼り続けてしまえば、道を覚えられなくなるのも一緒。
こうした経験はおそらく誰にもあるのではないでしょうか。
デジタル庁に代表されるように、今後ますます社会のデジタル化が加速していくのは避け難いことでもあるのでしょう。
便利になるメリットとその反面に潜むデメリットとをきちんと踏まえた上で、デジタル機器を活用していく。
こうした姿勢が必要になると思うのです。
■3時間以上は・・・
また東北大学加齢医学研究所が行った調査で、平均年齢11歳の子供233人を3年間にわたって追跡調査を行った報告があります。
インターネットが子供たちの脳の発育にどのような影響を与えているのか?この点を調べた長期の追跡調査です。
これによるとネットを使えば使うほど、幅広い範囲で脳への悪影響がみられたとのこと。ココでいう幅広い範囲とは、
「認知機能を支える前頭前野、記憶や学習に関わる海馬、言語に関係する領域、感情や報酬を処理する領域」
こうした箇所に問題が及んでしまうと報告されているのです。
その弊害はテレビやTVゲームの比ではなく、著しい悪影響を与えてしまう。
特にネットを「ほぼ毎日使用する」と回答した子供たちの脳の発達は、ほとんどゼロに近い数値・・・。
つまるところ、毎日ネットを使い続ける子供たちの脳は3年間で全く
「発達していなかった」
『スマホはどこまで脳を壊すか』(朝日選書刊)の中で、著者の榊浩平氏はそう指摘しているのです。
1日に3時間以上、スマホ等を使っている子供は、どれだけ勉強を頑張ってみても、平均点以上の成績に達することはなかったそうです。
文部省は"1人に1台端末を!"だなんて言っているのですが、スマホを机に置いた状態で勉強を始めると、さまざまな誘惑に駆られやすくなります。
それはアルコール依存症やギャンブル依存症などの各種依存症と類似した事がらであるともいえてしまう。
音楽を聴きながらのながら勉強は昔も今も定番なのでしょうが、専用の音楽プレイヤーとスマホのアプリとでは学習に与える影響が全く違う。
榊氏はこのように強調します。
スマホは多機能であるため、音楽と並行してSNSの通知音などが気になり出す。即座に返事をしないとイケナイといった不文律までもが存在している。
そのため相手とショートメッセージをラリーさせることになる。
短い動画が主流のため、次から次へと数珠つなぎのように動画再生を繰り返しやすい。
こうして子供がスマホを部屋に持ち込むことは、リビングにテレビが置かれていた昭和の時代とは全く質が異なっている。
テレビを見続ける子は親から叱られてしまいますが、部屋にスマホを持ち込んでしまえば親の監視下からも外れてしまうことになる。
大人への影響だってもちろんあるけれども、発達段階の子供たちに与える影響はあまりに甚大。
スマホは脳の健全な発育を阻害する。スマホは脳に悪い、榊氏は著書の中で繰り返しこの点を強調しているのです。
■最強の学習法は?
現代は世界規模での「低成長の時代」といわれて久しいモノがあります。
資本主義とはモノやサービスの乏しい時代に適したあり方で、モノが充足した現代においては、マイナス面ばかりが顕在化しているといわねばなりません。
投資先を失った大量のマネーが数少ない成長分野へと堰を切ったかのように流れ込んでくる。
教育産業は医療、健康産業と並びまさに成長分野。未来の産業であるとして、投資家たちの熱い視線のマトになっている。
こうした面が強くあるのです。経済成長のカギとなるのは、
「学校の民営化」と「デジタル教育」
この2つは巨大な可能性を秘めた新市場、次なるゴールドラッシュの担い手であることがいわれているのです。
教員、職員、設備やサービスの質・・・。こうした考え続く限りのさまざまなコストの削減を企図して、子供と学校そのものを
"仮想空間"
に移してしまう。デジタル空間に学校教育を移行させれば、もはや校舎はいらない。ゆえに設備の劣化も起こらない。
そして生徒をいくらでも増やすことができるので、利益はどこまでも右肩上がりで拡大し続けていく。
まさにムダのない完璧なアイデアを思いついたと賞賛された次第です。
そしてこの流れの決定的な追い風となったのが、2020年からの『新コロウイルス騒動』。
この未曽有の架空ウイルス騒動の裏には、世界を牛耳る1%たちの露骨なまでの思惑が見え隠れするのです。
教育がデジタル空間に移行すれば、教師などは必要なくなる。AI先生が知識の伝達を効率よく、淀むことなく滑らかに代行してくれるのですから。
今後は、教育現場から子供たちの心の機微を敏感に感じ取ることができる。そうした面倒見の良い優しい教員たちはいなくなっていくことでしょう。
スマホに搭載されたアプリが生徒の間違いを即座に訂正してくれて、子供の理解度に合わせた課題を次々に誘導してくれる。
デジタル教育は生徒個々の進捗度に合わせた学習を可能にする。こうした散々なまでの美辞麗句が並べ立てられているのです。
でもこうしたデジタル教育の推進に待った!をかける識者も少なくありません。
東京大学大学院総合文化研究所の酒井邦嘉教授も、デジタル化の利点に一定の理解を示しながらも、そのデメリットについても警鐘を鳴らし続けているのです。
そのデメリットは主に3点。
・記憶に残りにくいこと
・自分の頭を使わなくなる
・内容を咀嚼する能力が低下してしまうこと
デジタル教育にはこのようなマイナス面だってあると解説するのです。
東京大学を中心に行われたMRIによる脳波実験においては、スマホやタブレットを使った電子機器による学習よりも、
「紙の手帳」
を使ったグループの方が脳の活動が活発になり、記憶にも残りやすいことが明らかになりました。酒井教授は、
「時代遅れどころか、紙の本とノートを使うことこそが最先端である」
このように断じているのです。学習には紙に触れ、手で書くことが不可欠であるといった指摘です。
またジョンホプキンス大学のロバート・スラビン教授はさまざまな調査結果から、デジタル化学習の優位性はほとんど見られないと指摘した上で、
「人としてのつながりや、生徒を褒め、励まし、上達を共に喜ぶこと」
これこそが教師の使命であると強調するのです。
世の中でまことしやかに伝えられる情報には、ウソやまやかし、さらには誰かの都合。
思惑を美辞麗句で覆い隠すといった明らかな誘導があるものなので、お互いに本当に気をつけなくてはなりませんね。
■参考文献