人類の食の歴史を辿ってみると、
最初はどの民族も
「狩猟採集」
からスタートしていきます。その後、牧畜に移り、最後に至ってようやく農耕を開始する。
これが一般的な流れといわれているのです。
でも、世には例外が存在するのが常。ココでの例外とは、私たちの住む国・日本。
日本では狩猟採集から、いきなり農耕へとジャンプしている。
牧畜を経なかったことは人類史上、稀有な事例。このようにいわれているのです。
どうして日本においては牧畜が行われなかったのか?このナゾをヒモ解いていくと、狭隘な国土の問題があります。
国土の7割が山岳地帯。この地理的な条件から牧畜には不向きだった。このように解説する声がが支配的です。
確かに説得力があるのですが、たとえそうであっても多くの人の胃袋を養えるだけの食料が揃っていた。
それだけ豊富かつ安定した植物資源が背景にあった。このことも動かすことができない事実ではなかろうか。
食べられる植物がそこかしこに豊富に存在し、それを安定して栽培することができていた。
牧畜を省略した背景には、豊かな食糧事情があったと思うのです。
実際に考古学の分野でも、旧石器時代において日本の人口密度は
「世界一高い!」
こうしたことが指摘されているのです。
■命を賭けて!
ヨーロッパはお世辞にも、植物資源が豊かとは言いがたいお土地がら。
農耕を開始してみたところで、栽培できる作物の種類と量はどうしたって限られてしまう。
河川が短く、年間降水量の少ない乾燥地帯が欧州で、食用植物が極めて乏しいエリア。そうなると酪農や家畜などによる
「動物性タンパク」
に頼らざるを得なかった歩みがあるのです。
食べられるモノなら何でも食べる。たとえマズイものであっても、ソースや香辛料を駆使することで、強い味つけによって何とかしようと懸命になる。
そのことで、必要な食料を確保してきた歴史といえるのです。
また冷蔵庫のない時代において、家畜の肉に依存せざるを得なかったヨーロッパでは、保存のあり方が生命線になりました。
いかに食べものを長く保存するか?このことは死活問題になっていたというわけです。
食肉を保存できない限り、生きることができない。そこで、中世のヨーロッパの人々は
"危険な航海"
へと旅立っていきました。世界史の教科書に登場するマルコ・ポーロやバスコダ・ガマなどの
大航海時代。
その最大の目的は、香辛料の獲得にこそあったのです。特にコショウの獲得は必須の最重要課題。
「コショウ一粒は金一匁」
といわれるくらいの貴重品だったのです。
コショウには強い殺菌力があり、食用肉の保存を可能にする、ヨーロッパの生命線とでもいうべきスパイス。
生きるためには、欠かせない!こうして決死の覚悟を以って、危険な海へと向かっていったというわけです。
■関心の違い
国境を越え、人・モノ・カネが自由に往来するようになった現在とは違い、ヨーロッパにおいては伝統的に食料の保存こそが最重要。
旬や鮮度などへの関心は、二の次、三の次であったことが指摘されます。
これに対して日本は食用植物が豊富なお国がらで、そこら中にウマイものが溢れていた。
日本人ほど食に情熱的な集団はいない。そんな風にもいわれるように、フグや漆の新芽までをも食べてしまう。
死の寸前にリーチしてまでも、美味いものを食べようとする。食に対して恐ろしく勇敢であるのが私たち日本人。
そもそもがうまい、でもそこに留まらずその旨味をさらに、
"引き出そう"
と躍起になる。ダシ文化に象徴されるように、素材から旨味を引き出すことに日本料理の重点は置かれてきた、このようにいえそうです。
そうなると食への関心は、旬や鮮度になる。
春は芽吹くもの・夏は生るもの実るもの・秋は地下に潜るもの
季節ごとの違った旬の味わいに舌鼓を打つ。鮮度の良いものにダシを利かせて、なるべくシンプルに頂く。
それはウマイものをより旨く引き立てる。日本料理はそんな調理法といえるのです。
■旬と鮮度の意味
旬や鮮度へのこだわりは、味覚を満足させるといった役割があります。それも実に大切なことがらです。
でも食には、それよりも何よりも、もっと他に大切な使命が存在している。
それは生命を維持・拡大していくこと。
食べたものが血となり、肉となっていくのだから、何を食べるか?は極めて重大な問題です。
日本人は世界一うるさい消費者と海外から言われることも少なくありませんが、それは旬や鮮度への
「強いこだわり」
があるからこそ。なぜ私たちは時代を越えて、旬や鮮度にこだわり続けるのか?
そこには食べることの本質が込められているのではないかと思うのです。
旬や鮮度へのこだわり、それが一体何であるかをズバリいえば、
"生命力!"
大自然からのエネルギーを体に充填する。鮮度が高いものを食べることで、生きものの生命力をそのまま体に注入しようとする。
旬の力ある、命あるたべものを一番力のある間に、摂り入れたい!そうした意識が根底にあるのではないかと思うのです。
自然界が生み出した力の結晶である、生きものの生命を頂くこと。食べるとは大自然のエネルギーを丸ごと体に補給すること。
栄養がどうとか、何かの成分がどうとか、そうしたあり方ではなく、大自然の力をそのまま体内に充填する行為。
自然界の力を体の隅々にまで行き渡らせること。それが旬や鮮度にこだわり続ける日本食の
「真髄」
ではないかと思うのです。
■昔も今も!
これは、食べものに限ったことではありません。昔の人は野原で遊ぶことを意識的に行っていたようです。
「野遊び」「野がけ」「毛あしび(モーアシビ)」
といったような言葉を古典でしばしば見かけます。
文字どおり“野原で遊ぶ”という意味なのですが、それは自然の力を体内に直接取り込む。この目的もあったようなのです。
地球の中心から吹き上げるマグマ。その熱とエネルギーを足の裏から直接摂り込み、新鮮な空気を肺に送り込む。
そして全身に太陽の光を浴びることで、偉大な力を充填する。若芽を摘んだり、花を愛でたり、詩歌を通して男女が語らう。
大自然の生命力を丸ごと体内に充填する。それこそが心身の健康を維持する秘訣。
今でいえば森林浴やハイキング、バーべキュー、野外コンパ、こうしたものになるのでしょうか。
自然に直接、触れることの大切さを私たちの祖先は本能で知っていたのではないかと思うのです。
■癒しと緊張
そういうと、
「根拠が弱いな」
「何だかオカルトっぽいよ」
そんな風に思われるかもしれません。でも実際に、ヒノキやカンナなどの削り面に触れると血圧は
"低下"
していく。ガラス面などの加工度の高いものに触れると、血圧は
"上昇"
していく。このような研究報告もあります。
自然素材からは、「安らぎを」。過度に加工され、精製されたものからは、「緊張を」。
このような違いがあることが指摘されるのです。
血圧の上昇は体を緊張させ、呼吸を浅くしてしまう。それは体内で「活性酸素」を生み出す原因になります。
活性酸素は異物を攻撃してくれるといったありがたい面もあるのですが、それが過剰になってしまうとガンをはじめとした
"万病の元"
にもなってしまいます。常に大自然との接触を心がけることは、大切な行為と言わねばなりません。
女性が男性に比べて長寿である理由は、料理や育児を通して、頻繁に生きものと直に接触する機会が多いから。
このように主張する声だってあるのです。大自然との接触は心身の健康に直結する大切な行いといえるのです。
■現代人の接点は?
でも、都市に生きる私たちは土や草、樹木よりも、パソコンやスマホ、アスファルトなどの人工の化学物質に触れる時間の方が圧倒的に長いわけなのです。
河川の両岸はコンクリートで固められ、土はアスファルトで厚く覆われ、森林は立ち並ぶビルへと変化しています。
またコロナ騒動でも盛んに行われたように、過剰としか言いようがない薬剤まみれの
「衛生主義」
に終始し、泥んこ遊びや土いじりはバイ菌を呼び込む・悪しき習慣として、ますます遠ざけられているのです。
豊かさと便利さの代償として、自然は私たちからますます遠い存在になりつつあるのです。
だからといって、年がら年中、野原で遊んだり、土に触れたり、森林浴を楽しむだけの時間的余裕がないことも一方の事実です。
自然から遠ざかるばかりの私たち。 都市に生きる私たちは一体どこに自然との接点を求めればよいのでしょうか?
答えは
「食!」
現代人にはもはや食しか残されていない。土から離れてしまったからこそ、自然との接触が困難だからこそ、自然界の摂理に即した食べものを体に充填する。
生命が持つ自然の力の結晶を食を通して、体に送り込む。この必要がより一層、求められていると思うのです。
「栄養学」を経典としたサプリメントや健康食品は全盛ですが、いまだよく分かっていない栄養素は最低でも500~1000以上はあるといわれています。
よく分かっていないことまで、あたかも全て分かっているかのようなフリをして喚き騒いでいる。
サプリメントなどは、メリットばかりが声高に強調され、それによる副作用などのデメリットについてはほとんど触れられることがないのです。
他の生命を食べることで、自らの生命を維持・拡大していく。私たちの祖先はそれを
「いただきます」
という言葉に込めてきました。
食べものとクスリとの境界線が曖昧になる中、いま一度、「いただきます」に込めた精神を思い返したいものです。
どんなにサプリメントに豊富な栄養があったとしても、そこに生命はないのですから。
本質は低農薬だから、有機だから、といったところには決してない。農薬という薬剤をそもそも、最初から必要としない。
そんな健康で強い生命をできる限り体に入れたい。
自然界の摂理に則して育った、強い生命を感謝して頂くこと。それこそが食の役割であり、本質ではないかと思うのです。
伝統食とは何世代にもわたって、この気候風土で生きていくための遺伝的チェックを受けてきた最も安全かつ合理的な食べ方です。
普段から和食を心がけ、米・味噌・野菜、口に入れる頻度が高いものはきちんと選び、確保する。
そしてたまにはどこかに出かけて大自然と触れ合う、そうした生き方がいいですね。