私の家から10分ほどの場所に、
「義父と義母」
の家があります。
義母は中程度の認知症と診断されているのですが、義父の方は脳梗塞からの
"左半身不随"
東京のリハビリ病院への入院で若干、回復傾向にあるとはいえ、いまだ体は不自由な状態。
トイレに自分で行くのがやっと・・・。そのような状態です。
半身不随とは別に5年前に交通事故に遭い、左の足のお皿が複雑に割れてしまっていて、歩行は困難。
そんな義父と義母の介護を妻と私で分担し、日々行っているのです。
私としては、なるべく自然で体にムリのない。そんな食材のチカラを体に充填してもらいたい。
そんな思いで日々のお弁当作りに励んでいるのです。
昨日いつものように、お弁当を持って家を訪れたところ、義父から折り入って話があるとのこと。
何だろう?と思って、尋ねてみたところ・・・、口から出たのは、
「ショートケーキを食べたい!」
ショートケーキに熱いコーヒーをつけた形で、是非とも食べたい。
こんなことを懇願してきたのです。
私はこの申し出に完全に意表をつかれてしまったのですが、即座に、ちょっと配慮が足りなかったなと反省モード。
3月後半の退院からの義父のさまざまなお役所系の事務処理や介護認定等々。
さらには私の実の母の様態、畑作業や山仕事などに忙殺され、義父にとっての
"トキメキや楽しみ"
これらの提供にまで心が及んでいなかった!このことに気づかされた次第です。
人はパンのみにて生きるにあらず。潤いや楽しみだって、人生の歩みに欠かすことができないもの。
このことを再認識するに至った次第です。
■生きるとは?
最末期の大腸ガンで余命宣告を受けている私の母親。
こちらは熱の方は平熱に戻ったのですが、その後は間断なく続く下痢。
これに悩まされ続けているのが現状です。
ベッドなどから起き上がる際のお腹にかかる腹圧で、そのまま出てしまう。シャンプーの上の部分を押すかのように、流れ出る。
連日トイレの失敗を繰り返してしまっていて、精神面がかなり厳しくなっているのが現状です。
「死にたい!」
「病院に行ってあの世に行く!」
こんな迷惑ばかりをかけ続けるばかりなら、生きていたって
"仕方がない!"
そんな感じでいわば、半狂乱の状態に陥ってしまっているのです。
私としては、ひたすら慰めと励ましとを与え続け、後片付けを繰り返しているのですが、メンタル面がちょっと心配な状況。
下痢の症状は、カラダが病巣部分を元の健康な状態に戻そうとしている。
この点を母はよく理解してはいるものの、気持ちの方がどうにも塞ぎ、心がそれで埋め尽くされてしまう。
そりゃそうなるよなと、母の嘆きを否定することも私には難しく、ただ訴えに耳を傾けるばかり・・・。
人が生きるとは何であるのか?そんなことを日々思わずにはいられない状況です。