介護生活に戸惑うワタシ・・・、我が家を襲った騒動の顛末とは? | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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「最末期の大腸ガン」

医者からそう宣告されている私の母親は、

"余命1ヶ月!"

昨年の11月の終わりにそう告げられ、年を越せない運びになるはずでした。

でも現在もまだ、存命しております。存命しているとはいうものの、様態はかなり不安定。

常に下痢と排尿とに忙しく、粗相をしてしまうこともしばしば。

また幾度か40℃近い高熱を発し、全身の不具合に見舞われ続ける。でも、そのたびごとに

「無投薬!」

で乗り切ってきた。これがこの間の経緯になるのです。

今回また、39℃の高熱に見舞われました。1週間前から発熱し、その後ずっと高い熱が続いたまま。

お腹と背中の痛みに苦しみ、唸り続け、ほぼ絶食の状態が続いていたのですが、今日の朝の体温は、

"36.5℃"

頑張りにガンバって、どうやら今回もまた乗り切ることができた模様です。

読者の皆さまからも、経過報告の際にたくさんのエールを頂戴しました。この場を借りて、心からの御礼を述べさせて頂きます。

お腹の痛みと下痢に襲われ続ける中、母は昼夜問わず、うめき声をあげていたのですが、口から漏れ出る言葉は、

「早く死にたい・・・」

そんなことばかりを言うのです。

間断なく続いた発熱とほぼの絶食、さらには絶え間のない死にたい症候群。

私からの報告に心を悩ませた沖縄に住む兄は、2泊3日の強行軍で我が家に来援。

そして熱が下がっていくサマを見届けてから、昨日帰路につきました。

 


(※自然栽培イチゴが元気に勢いよく葉を広げています!)

■グッと堪える!
私が山に畑にと作業をしている間、兄は母と話をしたそうです。

現代医療を信じ続ける私の兄は、母の無投薬治療に対しては不承不承ながらも、あくまで本人が

「望んでいることだから・・・」

と応援する姿勢を取り続けてはくれています。

でも今回、そんなにツラくて死にたいのなら本格的に医者にかかり、再度の精密検査を受けてみたら?

このような打診をしてみたそうです。すると悩んだ様子の母は、

"正弥夫婦に悪いから・・・"

このように話したと兄は私に言うのです(正弥というのは私の本名です)。

つまり兄が解釈するところでは母は、本当はお医者にドップリかかって手術・抗ガン剤・放射線の『三大治療』

本心ではこれを受けたいと思っている。

 

でも、実際のお世話をしてくれている私たち夫婦への忖度や配慮から、泣く泣く苦しい無投薬治療を続けている。

 

こういうことになってしまう。兄は私にそう問い質してきたのです。私としては、

「それは違う!」

と反論したかったのですが、兄も強行軍で来てくれたワケだし、苦しい症状と戦い続ける母の面前・・・。

そこはグッと抑えることにしました。

でもやっぱり兄とは深い部分で分かり合うことは難しい。このことを再確認するに至ったのが経緯です。


■意志はどこに?
母は私の長くて苦しい無投薬無医療での症状克服。それに対して文句ひとつ言うことなく、全面的に力を貸し続けてくれました。
※参考:『無投薬無医療での30年の病気治療・震え続け、濡れ続けた我が闘病の全記録①

体から発せられる炎症やカユミなどの激しい症状に対して、外からのチカラを一切加えることがない。ただ体の為すがままにさせるばかり。

 

クスリもサプリも一切使わず、ひたすら症状に耐え続ける。

・炎症があるから良くなっていく
・痛みがあるからこそ治っていく
・カユイからこそ改善されていく


そんな私の姿を見るにつけ母親はよく、私にはとても

「あなたのようにはできないわ」

こんなことを言っていたのです。

あなたの無投薬無医療での治療は応援するけど、自分にはムリ。イタイツライに耐えられる自信など全くない。

普段から自然食も食べるし、合成洗剤も使わないし、化粧などもしない。

それらについては全力を注ぎ注意をするけれども、無投薬治療は自分には絶対不可能。よくそう話していたのです。

そんな母に転機が訪れたのは今から10年くらい前のこと。

幼馴染の親友が医者からガンと宣告され、その後に繰り返し行われた開腹手術。

さらに抗ガン剤、放射線の三大治療を受け続けた結果、瞬く間に亡くなってしまった。ガンと宣告されるまではあんなに

"元気だったのに・・・"

母は親友の死に直面し、医療への懐疑心を心から深めるに至った。それがキッカケだったと私に話してくれました。

身寄りのない親友の病床に母は何度も赴き、日々痩せていき、顔から生気が抜けていくサマを目の当たりにしたそうです。

そしていよいよの死の床の際しては、手を握って看取った。その日のことを私に話してくれたのです。

このことを機に、母は自ら日本尊厳死協会に入会し、自分の体を医療の手には決して

「委ねない」

この意志を固めるに至ったそうなのです。

その後も、医者通いもクスリなども一切服用することがなかった93歳の母の実姉がガン宣告を受けるに至りました。

そこから手術で声帯を除去され、その後の再手術。さらには37回にも及んだ散々の放射線照射の結果、昨年の4月に他界してしまった。

母はさらに意志を強く固めることになったのです。

 


(※新聞記者の兄が撮った我が家のフクの写真です)

■自由を!
母がどういう思惑で、"私たち夫婦が!"と兄に話しをしたのかは分かりません。

病み上がり間もない母に、そのことを問い質そうとも思いません。

元気が出てきたら、そのことの意味を時間をかけてゆっくり話し合っていこうと思っております。

とはいえ、私の存在が母に有形無形の圧力を与えているようなら、立ち居振る舞い。そして言動を改めなくてはなりません。

医療の手にかかるのも母の自由なのだし、無投薬を貫くことだって母の自由。

人は自由でなくてはならないし、自由でないのなら生きる意味がない。

今後も、母に自由で後悔のない選択をしてもらうための介護を続けていこうと思っております。

 

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