カネは天下の
「回りもの」
日本にはこのような言い方があります。お金は貯めるものではなく、
“使ってナンボ”
日本には、こうした歴史と伝統があるのです。
豊臣秀吉が太閤検地を行い、それまでの貫高制を石高制へと切り替える。
秀吉以前はお米の収穫高を一貫目、二貫目といった銭・貫文に変換した税制だったのですが、検地によってお米の収穫量に対して課税するように変更した。
“六公四民”
“五公五民”
こうした税制を徳川幕府は約300年間も継続してきた。こうした経緯があるのです。
でも今も昔も、お金とは生産と消費とを仲立ちするためのアイテム。それだけのモノに過ぎません。
各藩で不足するお金は、年貢米を大阪の堂島に持っていき、そこで当時の正貨の金銀銅へと替えていく。
そしてその正貨を裏づけにして、各藩独自の
『藩札』
を発行していく。各藩主たちは金銀銅の正貨・財宝を独占するのではなく、藩内の物資の流通。この促進のために貴重な富として充てていた。
このように解説されているのです。
これに対して西欧社会はと言えば、支配者たちがこれらをすべて独占してしまう・・・。
フランスのルイ王朝などはその典型例ではないかと思うのですが、財貨財宝を独り占めにしていく。
第三身分の人々をあまりに冷遇し続けた結果、フランス革命が勃発してしまった。
もしルイ王朝が続いていれば、その後の産業革命でもたらされたあらゆる富。
それらは全てルイ皇帝の独占物、つまるところ皇帝のおもちゃとなってしまうばかり・・・。
歴史家たちはこのように説明するのです。
■道を極める!
これは日本の商家とアメリカを中心とした西洋の資本家たちにおいても同じ。
近江商人などはその好例と言えるのでしょうが、その哲学はと言えば『三方良し』。
売り手と買い手がともに満足することで、自らの商売を世の中に貢献させていく。こうした伝統が色濃くあるのです。
ただゼニカネを独り占めするのではなく、商家としての作法。世の中の視線を常に意識していた。そのことから日本では、
「商道」
華道・茶道・仏道・武道、これらと同じレベルにまで自らの生業を高めようとする。
これは世界でも実にユニークな例と言われているのです。
“おい越後屋、お前もワルだのう”
水戸黄門などで成敗されちゃう悪代官の決まり文句ではありますが、その越後屋も白木屋も従業員に対しては家人同様の扱いをしていたことが言われています。
従業員が病気で倒れてしまえば終身にわたって、お世話をし続ける。そして天に召されてしまった場合は、同じ墓に入れてあげる。
“同じ釜のメシ”なんて言葉がありますが、主人は従業員と一緒に同じモノを食べる。相互の親しみがますます加速するようなあり方だったと説明されるのです。
従業員たちの側からしてみれば、越後屋のお陰で終身生活に困ることがない。
主人と顧客、そして世の中に対して誠心誠意。真っ当な仕事を地道に行い努力を続ければ、自分も家族も安心して暮らすことができる。
日本の商家には、主人と使用人との間に相互に深い信頼関係が構築されていた。
物価が上がるなどで経営に難が生じると、真っ先に食わないのは主人の側。いの一番に従業員に対してコメを与え、現物支給でその場を凌ごうと懸命になる。
主人だけが食べて、従業員が食えなくなれば両者の間の相互信頼関係が瞬く間に
“崩壊してしまう”
そうなれば古株で手練れの従業員たちは別の店に流出してしまう。経営にとってあまりに致命的な結果を招いてしまうというわけです。
■巨人と日本
これに対して欧米社会の資本家はといえば、全てを我がモノに!と根こそぎ独占してしまう。
独占どころか、遥か遠くまで遠征して、他人のモノを平気で奪ってしまう。
マルコポーロやバスコダガマなどが荒れ狂う海を渡って、キケンな航海に赴いた理由はコショウなどの香辛料の獲得。
こうした面もあるのですが、それと同時に金銀財宝の獲得。
中南米などに赴き、現地の人々を武力で制圧し、鉱山などでの
「奴隷労働」
を強いていく。大航海時代後のヨーロッパ社会の金銀銅の保有量はそれ以前の3倍にもなったことが伝えられるのです。
それが世界初の銀行と言われるイングランド銀行の創設のきっかけになったと説明されるのです。
欧米の資本家たちの金銀財宝への強い執着。それを日本人は到底理解できないことが言われています。
カネは天下の回りもの、そんな考え方などは全く以ってあり得ない。
そしてこの、今だけ・カネだけ・自分だけといわれるような富の集中と独占こそが、長く続くデフレ不況。現在の状況は不況ではなく、
『恐慌』
この原因になっていると非難されて久しいものがあるのです。
金は天下の回りモノ、欧米社会がこのことに気づいたのは、20世紀に入ってからのこと。
世界大恐慌によって当時脚光を集めた経済学者のクリスト・フュー・ダグラス。そしてその影響を受けたジョンメイナード・ケインズ。
ダグラスは資本家や銀行、金持ちに集中してしまう貨幣のあり方を糾弾し、国民全員に普通収入権を保障するための
「ベーシックインカム(国民配当)」
の導入。これを世界で初めて唱えた人物になります。
ベーシックインカムと言えば、社会的弱者救済のための福祉政策。このように思われているフシがあるのですが、実際はそうでない。
お金という社会にとっての血液を、1人1人の構成員。毛細血管に至るまで、隅々に行き渡らせるための実践的な経済政策。
このようにいえるのでしょう。
富の集中と独占とを排し、国民全員が経済活動に参加するための権利を保障すことを目的にした施策。
普通選挙が当たり前であるように、普通収入権だって基本的人権の1つである。
そしてそれこそが資本主義の矛盾としてどうしても避けることができない恐慌。これを解決する唯一の手段。
ダグラスは、公共通貨・適正価格・普通収入権の三位一体での導入を唱えた人物といえるのです。
ケインズは世界大恐慌を救ったニューデイール政策の理論的支柱となって人物。経済界の2人の巨人が主張した中身は、日本人が永らく続けてきた、
“金は天下の回りもの”
この考え方と極めて近いことが説明されるのです。
■現在と未来
ウクライナで現在起きている事がらは、地域地域の個性などは一切認めない。
いわゆるグローバリゼーションを推進する英米の国際銀行家と呼ばれる軍産複合体の総本山。
グローバリストたちが一方の側
これに対してその土地に根差し、その土地の個性や特徴を愛し、その内側に居住する国民たち。その発展と安全とを目指していくのがナショナリスト。
愛国者たちがもう一方の側
グローバリストとナショナリストとの正面衝突。それがいま起きていることではなかろうか?
そう言えば永らくロシアは、ロシアにはロシアの発展のあり方がある。欧米の価値観を押しつけてくるな!
こう主張し続けてきたことを思い出します。
※参考:『”幸福の国ロシアと地球を守るプーチン” と、ウクライナ軍の嘘がバレる』
日本の経団連などは、グローバリストの極東支店のようなもので、その面々の顔は日本人ではあるけれども、中身は完全にアメリカ人ではないかと思うのです。
日本には日本の長い歴史と伝統というものがある。失われつつあるものの、いまだ根強く残っているのではないかと私は思うのです。
そして欧米へのコンプレックスと従属とを振り払った後には、こうした課題が日本人には突きつけられてくる。
日本人らしい国づくりの実現に向けて、私たちも愛国心の強い指導者を在野の中から生み出していく必要を思うのですが、あなたはいかが思われるでしょうか?
■参考文献
・『銀行は諸悪の根源~~どうしたらお金をみんなのお金にできるか』
■無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る